映画・テレビ

しかしそんなに人手不足で大丈夫なのか

Konomi
・・・私の記憶の中では、制服がスカートの隊員って初めてなんじゃないかと思うのだけど。というわけで、『ウルトラマンメビウス』の眼鏡っ娘(『ウルトラセブン』のパロディが出てきたときには何か伏線なのかと思った(笑))、アマガイコノミ隊員(例によって全然似ませんが御容赦)。『メビウス』は今のところ、大人も子供も楽しめる良いバランスになっているように思います。『ティガ』から『ネクサス』までが「正史」から外れてしまったのはちょっと残念な気もしますが。

アトリビュートとしての眼鏡とは何か、という問題系については、かつて何回かに分けて論じたことがあるが、私の問題関心はどうやら、キャラクタがいかにカテゴライズされるか、という分類学的な関心のようである。『メビウス』における科学特捜隊である「CREW GUYS」には、「元女性ライダー」のカザママリナ隊員と、「幼稚園の先生を夢見る」アマガイコノミ隊員の二人の女性隊員が配されているが、さしずめカザマ隊員はフェミニズム的女性、アマガイ隊員はジェンダー的女性ということになるだろうか・・・このような分類を前提とすると、アマガイ隊員の「眼鏡」はジェンダー的女性性(男性から見た「女性らしさ」)を加速させる付加価値だということになる。すなわち、ここでの「眼鏡」は順接的な意味での矯正装置であり、装着する者には矯正されなければならないなんらかの欠落があることを暗示している。その欠落はおそらく、保護を要請するシステムとして物語を駆動することになるが(アマガイ隊員がマケット怪獣(カプセル怪獣ですな)になつかれる、というのも、保護-被保護という関係性の中に彼女が位置していることを示している)、もしそうであるとするならば、物語の比較的早い段階で、フェミニズム的女性であるカザマ隊員の帯びる女性性との衝突が生じることになるだろう。
・・・とここまで書いてきて思ったが、私はやはり「観察者」の視点からしか「眼鏡」を語れないようである。「眼鏡の正義」を語ることが出来ないという意味では久米田康治と同罪であろう(笑

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三陸鉄道商品化許諾済

Alice_k
いや、宮古線と久慈線が一緒の第三セクターになってるとは知りませんでしたよ・・・というわけで『鉄道むすめvol.2』から久慈ありす@気動車運転士(←機動車、って書かなかったっけ?記憶違いかな)。他の私鉄ラインナップが小田急、東武鉄道と大手どころなのに、これだけ群を抜いてローカル色が強いような。ひょっとして、現地に行くと限定ものがあったりするのだろうか(笑
#リアス式海岸だから「ありす」って・・・三陸方面にこういう名前の娘さんがホントにいるか検証したいところですね(笑
##しかしまあ、ここの制服は描いてみると地味ですなあ。開襟シャツなのがかろうじて救いですが。

金曜に『タモリ倶楽部』を見るようになってもう数年になるが、最近この番組ではどうも鉄道ネタがとみに多くなっているような印象がある。元々「for sophiscated people」なのだから、ニッチなネタを追求するという方向性であることには変わりが無いのだが、「埼京線ダービー」といい、「パスタブリッジ選手権」といい、果ては「芸能界電車部(だったか?詳細忘れました)」を立ち上げてしまうところなど、かなりコアな部分まで突き進んでいるように思う。最初の頃こそ、鉄道に全く興味の無い共演者が世間との温度差を番組内で体現していたが、最近は共演者までコアになってきてしまっている(この間のNゲージの「KATO」でのロケのご褒美にみんな不平を言わないという時点でかなりのものである)。民主党前代表の前原さんのこともあり、鉄道マニア(いろいろな呼び名があるようだが)の認知度はかなり上がってきているのかもしれない。
しかし、翻って考えるに、鉄道マニアの集合と、『鉄道むすめ』のようなフィギュアを愉しむことの出来る集合はどれくらい重なっているのか、という疑問も残る。私の中では、鉄道マニアは「機械に惹かれる」あるいは「(交通という)巨大なシステムに惹かれる」というベクトルであり、比較的硬派(この定義も難しいが)という印象があったのだが・・・現在も連載中かわからないが、綾辻行人+佐々木倫子(この組み合わせもわけがわからないが(笑))の『月館の殺人』での鉄道マニアたちの描写からは、彼らが『鉄道むすめ』を買うような行動様式をとるようには思えないのだが。
#お前はどうなんだ、というツッコミはまあさておくとして(笑

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そういや国務長官出てこなかったなあ

paura
※おことわり※
このブログには映画『ローレライ』のネタバレがちょっとだけ含まれています(あんまり関係ないけど(笑)))。というわけで興味関心のある方は鑑賞後に読んでね。
いやちょうど本当の歴史ではアメリカで国務長官が有名な(八月革命説の根拠の一つになった(笑))「バーンズ回答」を書いてるとこなのに、アメリカ側の艦隊は「太平洋艦隊長官」(ニミッツか?)の名前しか出さなかったので。
実写にも関わらず映画の作られ方が極めてアニメっぽかったのでイラストも絵コンテ風にざざっと。自分の技量の関係から実際の登場人物はどのみち似ないので、いっそ「伊507たん」にしてしまっても良かったんだけど(笑)、一応パウラ・アツコ・エブナー。しかし、資料のつもりでパンフレット買ったのに、出渕裕デザインの「ローレライシステム」のカットの写真が全然掲載されてない(泣)・・・しかたないのでほとんどイメージ画です。
先週末、これも古い友人連である(しかし最近古い友人とばかり出かけているようだが、要は新しい友人を開拓していないだけのことか(笑))藤田さま、鮫島さま、火焔樹さまと映画『ローレライ』を見に行った。私は全く何の予備知識も持たずに見に行ったのだが、ちょっと知っていたらしい火焔樹さまが上映前にぽつりと「樋口真嗣監督ですよ」と教えてくれたおかげで特撮モードで鑑賞することが出来た私にとっては、フジサンケイグループがかんでいる以上止むを得ない政治臭(笑)を除けばそこそこ楽しむことが出来た映画であった。事前に『終戦のローレライ』を読んでいたという藤田さまにはいろいろな意味でものたりないところがあったようだが。
#特撮として見せるのだったら、話の核になっている「ローレライシステム」がもっと派手でも良いような気がするが・・・これが『Uボート』とかの世界観ならその有難味もさぞや、とは思うが(笑)。ナチスの生物兵器なら、クジラの大群を呼び寄せる位のことはして欲しいものだ(笑)。
でまあ、企画の意図が良くわからなかったので帰宅後パンフレットを読んでみると、やっとどうしてパウラが作中ああいう位置づけなのかが了解できた。なにしろこの企画(映画と小説は併行的なのだそうだ)、もとは<第二次世界大戦><潜水艦><そこに何故か女性が絡む>という「三題噺」が大元なのだそうである(笑)。なるほど、だから役所広司演ずる艦長絹見が、ラスト近くでアノ台詞をアノカット割りで叫ぶのか、と激しく納得してしまったのであった(笑)。
#庵野秀明が協力してるしね(笑)。
##原作の福井晴敏の「大人が食べられる普通の皿で出すガンダム」って狙いは、ちと惜しいかなと(笑)。一般のヒトはどう見たのだろう。

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このチェーンソーでOK出した人はある意味エラい

gigangirl
ガイガンは当初(初代)からお腹にナゾのチェーンソーが装備されていてなかなか頭のワルい(註:ほめてます)感じだったのだが、『FINALWARS』版ガイガンの両手に二股のチェーンソーを装着する、というこのコンセプト、かつてのウルトラ怪獣にも見られた頭のワルさ(註:くどいようですがほめてます)が感じられてとても良い(笑)。逆に轟天号からは胴体のチェーンソーはなくなったようだが。
今日『報道ステーション』を見ていたら、今でもまだ『ゴジラFINALWARS』がCMの映像素材として使われていて妙に感慨を覚えた。ストーリーラインや設定などの質から考えれば、先に取り上げた『ULTRAMAN』の方が上質なのだが、こと映像ということに関しては、『FINALWARS』には極めて派手で、ある種割り切った判りやすさを見て取ることが出来る。映画としての成功の度合いは、『ULTRAMAN』が軒並み最低限の放映期間しか保てなかったことから見ても明らかだが、興行収入についてだけでこの両者を比較するのはやや酷な気もする・・・というのは、この両者はあきらかに目指している方向性が違うからである。さしずめ、『ULTRAMAN』は形而上の、『FINALWARS』は形而下の面白さを与えられた素材の中で追求しようとしており、この両者のバランスが最もよくとれているのは、昨今の特撮では結局『ガメラ』三部作になるのだろう(仮面ライダーや戦隊ものはチェックしてないのでわからないが)。
#いやまあ『ガメラ3』は結局のところ前田愛の映画だとは思うけど(笑)。
#平成ゴジラの中では傑出しているのは『vsビオランテ』だと思うが、あれは新マンの『許されざるいのち』のリファインという気もするし・・・。
でまあ、題名どおりゴジラがファイナルになるとは到底思えないのだが、どうせなら「第二第三の・・・・」という例の言葉でマニア向けのゴジラ継続予告をしてほしかった気もする(笑)。


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価値相対主義と多元的正義(と紛らわしいタイトルをつけてみる)

nagi
いやまあ、あながち本題と外れてはいないんだとは思うが、ネットで「正義」とか検索したいヒトはきっとロールズとかの情報を求めてるんだろうし(笑)。しかしまあ、実在の人物をモデルにしようと思うと全く似ないのですよコレが(泣)・・・こういうところで画力の基本的なレベルがバレます。ちなみに『ウルトラマンネクサス』のTLT副隊長西条凪のつもりで描きました。なんというか、あのむやみやたらと攻撃的でキツい目つきが再現できないのです(笑)。しかしこのヒト、絶対集団で仕事するのに向いてません。ナイトレイダーのチームワークの無さ加減は、主人公のヘタレっぷりよりもこのヒトに問題があると思う(笑)。
正月映画として、年末の『ゴジラファイナルウォーズ』に続けて特撮をチョイスし『ULTRAMAN』を見に行った。どこもかしこも上映をすぐ打ち切ってしまったので入りはどうだろう、と危惧したのだが、日曜午前中のその日唯一の上映は家族連れで一杯であった・・・しかし如何せん、『ULTRAMAN』の主なターゲットは子供をつれてきた親の側であり、しかも仮面ライダーや戦隊シリーズのようにイケメン俳優をそろえたりもしない堅実な?路線のせいでお母さんは取り込めずに、結局主としてお父さんだけが楽しんでいる、という空気がありありと会場内から伝わってきた(作り手側も、そうでなきゃ初代『ウルトラQ』ネタをかましたりはしないだろうが(笑))。
#御丁寧に『DarkFantasy』まで視野に入れてるし・・・しかし『ULTRAMAN』では万城目淳役だった渡来教授、私の中ではどうしても菅原教授なのですが(笑)。
『ティガ』から始まる平成ウルトラマンシリーズは、子供のころウルトラシリーズを見ていた大人がそこに込められたメッセージを再解釈するという構造上、子供には理解しにくくなるというジレンマと常に戦っているようである。今回の『ULTRAMAN』も、話の構造は「ウルトラ作戦第一号」だが(映画見ていてそうかなと思ったらパンフレットに明記してありました(笑))、やがて科特隊に入って活躍するハヤタと、航空自衛隊のパイロットである真木では、ウルトラマンの登場により介入してくる<非日常>の度合いが圧倒的に違う。初代マンではウルトラマン:正義-ベムラー:悪という二元構造だけで展開する話が、この正義-悪のディコトミー(しかも今回の「ザ・ワン」はかつて人間だったという設定が付加されている)の他に、ウルトラマン:非日常-真木:日常というもう一つのディコトミーを導入することによって複雑化しているのである。これはやはり、子供には少々難しいであろう。
なお、このもう一つのディコトミーにおけるカタルシスが、真木の「パイロット」というアイデンティティ、すなわち「空を飛ぶ」ことであったのは、やはりこの映画が基本的には「板野サーカス」であることを証明しているようにも思う(笑)。つーかF15強すぎ。サイドワインダーがマクロス飛びしてるし(笑)。

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