しかしそんなに人手不足で大丈夫なのか
・・・私の記憶の中では、制服がスカートの隊員って初めてなんじゃないかと思うのだけど。というわけで、『ウルトラマンメビウス』の眼鏡っ娘(『ウルトラセブン』のパロディが出てきたときには何か伏線なのかと思った(笑))、アマガイコノミ隊員(例によって全然似ませんが御容赦)。『メビウス』は今のところ、大人も子供も楽しめる良いバランスになっているように思います。『ティガ』から『ネクサス』までが「正史」から外れてしまったのはちょっと残念な気もしますが。
アトリビュートとしての眼鏡とは何か、という問題系については、かつて何回かに分けて論じたことがあるが、私の問題関心はどうやら、キャラクタがいかにカテゴライズされるか、という分類学的な関心のようである。『メビウス』における科学特捜隊である「CREW GUYS」には、「元女性ライダー」のカザママリナ隊員と、「幼稚園の先生を夢見る」アマガイコノミ隊員の二人の女性隊員が配されているが、さしずめカザマ隊員はフェミニズム的女性、アマガイ隊員はジェンダー的女性ということになるだろうか・・・このような分類を前提とすると、アマガイ隊員の「眼鏡」はジェンダー的女性性(男性から見た「女性らしさ」)を加速させる付加価値だということになる。すなわち、ここでの「眼鏡」は順接的な意味での矯正装置であり、装着する者には矯正されなければならないなんらかの欠落があることを暗示している。その欠落はおそらく、保護を要請するシステムとして物語を駆動することになるが(アマガイ隊員がマケット怪獣(カプセル怪獣ですな)になつかれる、というのも、保護-被保護という関係性の中に彼女が位置していることを示している)、もしそうであるとするならば、物語の比較的早い段階で、フェミニズム的女性であるカザマ隊員の帯びる女性性との衝突が生じることになるだろう。
・・・とここまで書いてきて思ったが、私はやはり「観察者」の視点からしか「眼鏡」を語れないようである。「眼鏡の正義」を語ることが出来ないという意味では久米田康治と同罪であろう(笑
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