ファッション・アクセサリ

戦国時代有能な武将は先端部分だけで数千の兵を統率できたという(せっかくだから有効活用・1)

Naokosan
※以下、アクサンは省略しています。
「ファッション・アクセサリ」というカテゴリは決してウソではないのですが、おそらく一般的な用法とは異なるのでしょうね(笑
『決定版!! メイドポーズ集』なるものを正月に勢いで購入してしまったので、せっかくなのでいくつかポーズを抜き出してネタにし、併せて、メイドさんの周辺事情について思いついたことなどを書き連ねてみます・・・というわけでまずは「モップでいろいろなポーズ」から(既にモップでもなんでもないですが(笑))。素材は『百合星人ナオコサン』のナオコサン・・・このマンガ、昨年に刊行されたものの中で私的にはダントツにツボでした(笑
#「メガネは顔に似合わずメンヘルだなあ」とか「好きな人が出てきました」とか「次元滅殺青梅特快!」とか(笑
##イラストに付記した「メイドさんのアレ」の横には、何故かブレザーに「ウォーカーマシン」ってキャプションがついてるし(笑
###あ、よく考えたらナオコサンは「メイドさんのアレ」を着けてないんだった(笑

「メイドさんのアレ」というだけでそれなりに通用するほどに、ヘッドドレスは現代日本のメイドイメージにおいて欠かせないもののようである。その呼称については諸説あるようだが、少なくともネット上では「正式にはホワイトブリムと言うらしい」という言説が多く見られる。
先学の業績が既に指摘していることであろうから屋上屋を架すこともないかと思うが、おそらく通説的であろう見解を示しておくと、1860年頃には女性が室内帽を被ることは廃れ始めており、「メイドやウェイトレスが被る糊をきかせた帽子(starched cap)はこの時代を特徴付けるものだが、これは、19世紀の従僕が18世紀の衣装を着るような懐古趣味である」という(Phillis Cunnington &Catherine Lucas, Occupational costume in England from the eleventh century to 1914, Adam & Charles Black, London, 1976, p.214)。しかし、メイドが帽子を着用することは、単なるアナクロニズムを超えた意味を持っていたことは、帽子を被らなかったことで解雇されたメイドが裁判を起こしていることなどからも容易に理解される。
#ちなみに先に言及した文献によると、同時代のフランスでは、料理人は必ず帽子を被らなければならなかったが、客間女中(femme de chambre)は室内では帽子を被らずにいることが大目に見られていたという記述がある(p.46)。このことはメイドのヒエラルキーの問題として記述されており、なかなかに興味深い。
この手の話のネタ本として良く使わせてもらっている、Elizabeth Ewing, Women in uniform : through the centuries(London: Batsford, 1975 :母校の図書館のOPACで検索したら今見たら貸し出し中になってる・・・誰だこんな本借りてるの(笑))では、「1890年代までには、〔室内で〕帽子を被るのは年嵩の女性とメイドだけになっていた。しかし、今世紀〔20世紀〕の初頭には、多くの高貴な威厳ある貴婦人が、その頭にレースとリボンの凝った装飾を着けていたにもかかわらず、それと張り合うのは彼女のスマートな客間女中だけであった」との記述がある(p.21)。これも周知のように、客間女中は、男性召使いの代わりに目に付くところで働く存在が必要になったために出現した、比較的発生の遅いメイドであるが、この客間女中の特に午後の装いが、今我々がステレオタイプなメイドについて抱くイメージの源泉となっている。前にも若干触れたことがあるが、20世紀初頭にティーショップの制服として採用され、「Nippy」と呼ばれて「国民的象徴(national figure)」になるまでに広まったこの装いは、第二次世界大戦勃発後には女性の銃後労働への従事により廃れ、これと平行して出現したセルフサービス型店舗に押されて「かつて偏在していた客間女中(the once ubiquitous parlourmaid)」として、歴史の一コマになったのだという(pp.56ff)。
#ユビキタスなパーラーメイドですよ(笑
さて、当時の図像などを見ると、徐々にコンパクトになっていったとはいえ、客間女中も室内帽を着用しており、その装いを制服として継承したNippyもまた、きっちりとしたキャップを被った姿で新聞に登場しているが、John Peacock, Le Costume Occidental, de l'antique a la fin du XXe siecle, chene, 1990の中に一点、興味深いスタイルの図像を見つけたのでご紹介したい(p.183)。
Americanmaid1923
#スキャンしてもよかったのですが、それだと面白みがない上に、元絵がなんというか、独特なタッチなのですよ(笑)・・・関心のある方は原典を参照ください。
我々が「メイドさんのアレ」と呼ぶものにかなり近い形状のヘッドドレスを着けているこの女性は「1923年、アメリカのウェイトレス(serveuse:4年ほど前のコミティアで10部くらい頒布したコピー誌で検証したのだが(笑)、一般にフランス語で「メイド」にあたるのはdomestiqueである)」、着けているのは「プリーツを寄せた小さなボネ(petit bonne plisse)」とされている。この図像は、我々が「メイド」として認識しているイメージが、実際には商業の場でウェイトレスの制服として採用され、おそらくは(一時期とはいえ)ナショナル・シンボルとして動員されたイメージをその源泉としており、歴史上存在した「クラシックメイド」とは順接的には結びつかない、ということを象徴してはいないだろうか・・・例えば横川善正『ティールームの誕生』(平凡社、1998)のように、公共空間への女性の進出のあり方としてのウェイトレスの史的検証の中にこそ、あるいは近時の「メイド」イメージの系譜を発見しやすいのかもしれない。
#この本は問題意識がモダンアートに傾斜しているので、あまり直接の参考にはならないが(笑

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