惑わず行けよ、行けばわかるさ
最近年に数回しか更新してませんが、まあこれくらいはネタをかましておこうかと…というわけで、『スマイルプリキュア』のキュアマーチと『美少女戦士セーラームーン』のセーラージュピターを描いてみました。後者はちょうど20年前なわけですが(まこちゃんの登場は9月だそうですが…)、ワタクシ、五人組のチームだとこの立ち位置が好きなんですよね。どっちもポニーテールなのも興味深いところです。
#しかしまこちゃん、登場回のサブタイトル「恋する怪力少女、ジュピターちゃん」なのな…。
『美少女戦士セーラームーン』のアニメ版が放映を開始した1992年、私は当時大学生であったが、「なにやらとんでもないものがはじまったな」と感じたのを印象深く思い出す(まあ、その前に放映されていた『きんぎょ注意報!』も見てはいたのだが)。その文脈はさまざまであったと思うが、今思い返して見ると、その感慨は「ともかく画面が女の子だらけだ!」という大変身も蓋もないものであったと記憶している。勿論、『ガルフォース』(1986年)のような例外もあったが、やはり『セーラームーン』は、その後のアニメに登場するキャラクターの男女比を決定的に変動させる、大きな節目として機能していたように思われる。
この頃の私はコミケにも足を運んでいたが、『セーラームーン』の同人誌は(無論男性向けのものも山のようにあったが)、女性が手がけるものも比較的多く、そこに、いわゆる「鎧もの」の想像力が流れ込んでいることはすぐに見て取ることが出来た。私などがことさらに指摘するまでもなく、このことが、その後の百合的な想像力の豊穣な展開につながっていったことは明らかであろう…そこから、『エヴァンゲリオン』という峻厳な山嶺を経て、ヘテロセクシュアルなセクシュアリティそのものの自明性を根本から問い直す『少女革命ウテナ』(1997年)が世に出るまでには、わずか5年しか要していない。
#『セーラームーン』の自己言及的なシミュラークルである『セーラースターズ』が『ウテナ』の直前まで放映されていたことは(1997年2月まで)、この点で興味深いように思われる。
『ウテナ』から更に15年を経た現在、『けいおん!』が戯画的に描き出すように、セカイからはヘテロセクシュアルな恋愛は周到に排除され、時間が止まったような日常の戯れの中の微細な人間関係の「差分」のような形で、キャラクターたちのコミュニケーションは紡がれているようにみえる…「キミとボク」の異形な近接関係を描くかに見えた「セカイ系」的想像力は、おそらく、『エヴァ』のトラウマが『ヱヴァ』へと変化する中で治癒されたのだろう。その一方で、虚淵玄が『まどか☆マギカ』において描く少女たちの葛藤は、『Fate/Zero』において示されているように、セクシュアリティの差異を不問に付す、純化されたホモソーシャル空間の反転像でもある。彼女たちがいる「いまここ」が、ユートピアなのかディストピアなのか、私にはわからない。
Recent Comments