サイエンスの幽霊
どんなキャラでもバニースーツを着せれば大抵干支に引っ掛けることができる、という意味では、十二支の中でもっともお手軽なネタなのではないでしょうか。というわけで、まったく何の必然性もありませんが『神のみぞ知るセカイ』に登場する<文学少女>の理念型、汐宮栞など一筆書いてみました・・・しかし年明け早々これでは、今年もきっとろくな一年にならないような気がしてなりません(笑
#まあ、2010年は花澤香菜無双であった、ということでもあるでしょうか。箱根駅伝でもご活躍だったそうですし。
17世紀のヨーロッパにおいて生じた所謂「科学革命」の帰結として、我々は「世界(自然)という書物」を読み解く「文法」としての科学、すなわち「自然科学」を手に入れた。ガリレオ、ベーコン、デカルトら「近代知の確立者」たちが好んで用いたというこの比喩は、一つには、「自然科学」がそれまでの経験論を超越した「言語ゲーム」としての幾何学的言語を必要としたことを、そしてもう一つには、その「言語ゲーム」によって「世界(自然)という書物」の著者であるはずの神や造物主の概念が解体され<世俗化>されたことを含意している(野家啓一『〔増補〕科学の解釈学』)。「科学革命」からやや時代が下ると、政治学や経済学などの「社会科学」が発生してくるが、そのあり方は基本的には「自然科学」寄りのものであったとされる。19世紀初頭の草創期の「社会科学」とは、前近代社会から意図的に距離を置き、「科学的」精神に従って近代社会を構築しようとする、西洋近代に固有の学のあり方であった。一方、伝統的な神学・法学・医学の基礎をなす「知識それ自体のための知識」としての「ヒューマニティーズ」のあり方は、この「科学革命」の影響を受けて再編されつつも「自然科学」と対置される形で「人文学」として維持される・・・ヒュームの提示する経験論に対して批判を反復することで「道徳」についての省察を深め、「自由で尊厳性をもった理性人」という近代的人間像を呈示することで近世自然法論から開放されたカントの思惟は、その好例であろう(笹倉秀夫『法思想史講義(下)』)。富永健一は、「知識それ自体のための知識」のあり方を示す呼称であった「arts and science」のうち、後者を「自然科学」、前者を「人文学」に振り当てた上で、「人文学が方法的に「科学」とは区別される」が故に「少なくとも半分くらいは「科学」である社会科学が人文学とは方法的に違う」という立場から、敢えてこれに「人文科学」の呼称を充てないと述べている(『現代の社会科学者』)。
富永の整理に従うならば、発生論的に我々が理解している「科学」の区分、すなわち、まず「自然科学」と「人文科学」が分離し、後者が「狭義の人文科学」と「社会科学」に分離するというものではなく、方法論的な区分として、「自然科学」と「社会科学」の間の近接と、「人文学」との方法論的な差異が描き出されることになり、伝統的に文学部において講じられる学問、例えば「文学」は、この区分から言えば「科学」から方法論的に遠く、19世紀以降独立の学部を構えて講じられる政治学や経済学、すなわち「統治」についての学は、「科学」に近いということになる・・・この19世紀的な「科学」性、すなわち、実験し観察する対象への視線を司る「自然科学者」と、人間関係を自然科学モデルを援用して統御する「組織の長」を表象する記号が「眼鏡」であることは、もはや多言を要しないであろう。
もっとも、19世紀後半から「科学革命」により構築されたパラダイムは揺らぎ始めており、現在においてこのあり方は自明のものでは無くなっている。世界は既に、読み解かれる一定の文法を持つ「書物」ではなく、メタ化された「解釈」へと開かれた「テクスト」となった(野家前掲『科学の解釈学』)・・・「近代的科学者」の理念モデルとしての「ラプラスの魔」が消え去るとき、19世紀型パラダイムにおける表象としての「科学的眼鏡」もまた、消え去る運命にあるのかもしれない。
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