訳者名が本当にペンネームなのか気になるところです
「作者不詳」はまあともかくとして訳者「行方未知」ですから、ペンネームじゃなかったらえらいことですが、ありそうなだけに怖いところです・・・というネタは、ヴィクトリアンポルノの名作?『閉ざされた部屋』の話です。金子國義のカヴァーの方が有名かも知れませんが、これ原題「Man with a Maid」と大変身も蓋もないタイトルなのです。イラストには、1996年の<殻鳥インパクト>(←今適当に思いついた言葉ですw)以前の美少女ゲーム業界におけるメイドさんの立ち位置をある意味非常にシンボリックな形で代表していると思われる、1993年の『禁断の血族』(シーズウェア)に登場するメイドのさよりさんを描いてみました・・・この頃はまだ、ヘッドドレスはメイドさんの記号として確立していなかったようですね(1989年の『ランス』(アリスソフト)や1991年の『スイートエモーション』(ディスカバリー)では後に「ホワイトブリム」と呼ばれるようになるものを付けているようですが、同じアリスソフトの『D.P.S.sg set.2』(1991年)に登場する「小間使い」のテスはヘッドドレスをつけていません)。
久我真樹さんが同人誌において長年にわたって蓄積された仕事が、先般『英国メイドの世界』(講談社)として上梓された。その意義については今更私のようなものが改めて述べるまでもないであろうし、その充実した内容についてもやはり、今後必ず読み継がれるであろう記念碑的な業績であることだけを記しておけば足りるであろう(なので、もし仮に、この文章を目にしていながらまだ落掌していないという御仁は、今すぐに書店に走るべきである)。そこで、その内容に関する評釈や史資料の取り扱いについての言及は専門家に委ねることとし、ここではもっぱら私的な回顧の形で、同書のコンテクストの一部と理解され得る、前世紀末の所謂「美少女ゲーム」におけるメイドの表象について散漫に触れて見ることとしたい。
東浩紀の『動物化するポストモダン』をはじめ、多くの先行業績が現代日本のオタク文化におけるメイドの表象の起源として掲げている『黒猫館』は1986年に作られたOVAであるが、同作は1993年にゲーム化もされている(フェアリーダスト)。ゲーム版『黒猫館』が発売されたのと同じ年には、上述の『禁断の血族』及び『河原崎家の一族』(シルキーズ)、翌94年には『アラベスク』(フェアリーテール)も発売されており、草創期の「美少女ゲーム」におけるメイドの表象はほぼ固定されたように思われる。すなわち、これらの所謂「館物」の作品で描かれるのは、いずれも、古い洋館を舞台にした退廃的な物語であり、そのデカダンスを表象するイコンとしてメイドというキャラクター類型が用いられていたとまとめることが許されよう。そして、そのデカダンスの参照先の一つとしてヴィクトリアンポルノが選ばれたことには、この時代が「生-政治」によってセクシュアリティのコードが解離を見せていたということとあわせて(フーコー『知への意志』)、その解離と反復の故に、同時代のポルノグラフィが反文学性を色濃く刻印されたからであるとの理解も可能かもしれない(「『我が秘密の生涯』のような作品を取り上げ、そこから性的ファンタジーという上部構造を剥ぎ取ってしまうなら、その下にじかに、無意味な空虚が、つまり、人生が無の上に基礎づけられ、それを支えるものなど何もないという意味が見てとれるはずだ」(スティーヴン・マーカス『もう一つのヴィクトリア朝時代』))。
この「反文学性」はおそらく、日本社会においては、「実存」に対して懐疑のまなざしが向けられていた60~70年代からマージナルな想像力として引き継がれたものであるが、私にとってそれはなによりも(もっぱら河出文庫に収められた)澁澤龍彦や種村季弘に代表されるような想像力であった。高校生の時分から両氏のエッセイを読み漁り、かつ、その編による幻想・怪奇小説に耽溺していた私にとっては、1990年代初頭の「美少女ゲーム」の世界はそのようなものの延長線上にあった・・・そして、その中でもとりわけ実験的な『狂った果実』や『ドラキュラ伯爵』(いずれもフェアリーテール)などの作品にデカダンスの表象としてのメイドが登場することに関しては、私は特に違和感を覚えなかった。
#付言すれば、1980年代後半からミステリにおいて展開された「新本格ムーヴメント」への共感も、このデカダンスへの親和性から説明出来そうである・・・ネクスト・ディケイドの若人に対しても伝わるように述べるならば、例えばそれは、奇しくも同じ1986年を舞台とする『うみねこのなく頃に』の大時代な舞台設定とメタ的なナラティヴへの共感に近いものがあるのかもしれない。
逆に私は、その後の「メイドさん」シーンを塗り替えることになる『殻の中の小鳥』にはある種の違和感を覚えたように記憶している。今思い返すと、この違和感の一部は、90年代半ばになってデカダンスを標榜することの空虚さそのものにも拠っていたのであろうが(言うまでもなく、1996年は『エヴァンゲリオン』の年であり、日本社会に大きな「断層」が生じた年である)、近時、同作に携わったクリエイターの回顧を読む機会があり、上記の違和感について一定の解釈を得ることが出来た。すなわち、同作は「館物」への明瞭なアンチテーゼとして作られており、なおかつ、ヴィクトリア朝イメージが「ハリウッドが作ったイメージ」であることを自覚した上で、そのイメージを再構成して周到に利用しているというのである(「栄夢・新井和崎インタヴュー」『美少女ゲームクロニクル』)。つまり、「メイドさん」なるものの表象には、かつて私が耽溺したデカダンスや「反文学性」は最初から含まれて居なかったのである・・・その後の「メイドさん」現象に対する私のスタンスが、耽溺すべきものではなく、その表象の記号的戯れを観測する対象へと徐々にシフトすることとなったのも(先に引用した記事の前後に書き散らした一連の記事、とりわけ、「メイド論的転回」(笑)とでも呼称すべき暴論を展開して、墨東公安委員会さまから適切な批判を史学の立場から頂戴したこの記事などを参照されたい)、おそらくこのためであったのだろう。
ともあれ、上述のインダヴューの中で「当時、コスチュームの一つでしかなかったもので、本を開けばメイドの原点がイギリスかアメリカかってわかるんですけど、新井〔和崎〕が「メイドはイギリスのもんなんだよ」って定義したら世の中がそうなっちゃった」と述べられている状況の延長線上に2010年の今があるとしたら、『英国メイドの世界』はそのあり方を検証する格好の素材となるはずである。重ねて、一読を薦めたい。
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