「じんがい」か「にんがい」かで読者層がわかります

・・・前者が小栗虫太郎、後者が中井英夫なので実はあまり違いはないようにも思いますね(笑)。ともあれ、静川龍奈/文倉十『うちのメイドは不定形』のテケリさんを描いてみました。原案の森瀬繚さんはさすがに「わかっている」方で、あとがきがものすごくベタなよい感じに仕上がっています。しかし、ヒロインに「あさひ・ピーバディ」とかつけられてしまうと、それだけで笑えてしまって困ったものです。『這い寄れ!ニャル子さん』も順調に巻数を重ねていることですし、もういっそこういうジャンルが成立したのだ、と言ってしまっても過言ではないような気が・・・おや、誰か来たようだ。
#とはいえ、さすがに『魔海少女ルルイエ・ルル』はどうかな、という気がします。読みましたけどね(笑
#とらで買ったらオマケで外伝がついてきましたよ(笑
今更説明するまでもなく、クトゥルフ神話は、1920年代にラヴクラフトとそのサークルによる相互参照により生み出されてより、現在でもなお世界中でフォロワーを増やし続ける優れた「体系」であるが、それがきわめて広範囲に拡大してもなおクトゥルフ神話としての「体系性」を維持しつづけていることの背景には、第一に、どれほど後代のフォロワーであっても、自らが紡ぐ物語が「神話体系」に連なっている、というベクトルを強く意識しながら作品を作っている、という点が挙げられるであろう。しかしこのことは、そもそものクトゥルフ神話の「体系」自体が、ラヴクラフトとその同時代のフォロワーによる固有名詞(及び、固有名詞によって名指された対象の作品内の関係)の相互引用、という、きわめてシンプルな構築物であることに大きく依存しているように思われる・・・すなわち、既存の固有名詞の間の指示関係のネットワークが緊密な形で閉じていないがゆえに、クトゥルフ神話の「体系」の外部には、既存の「体系」と矛盾しない新たな「体系」を拡張する余地がかなり広く用意されているのである(大塚英志的に表現するならば、「ビックリマン」の既存の772枚の「オフィシャル」なシールと整合性のある「773枚目のシール」を、クトゥルフ神話においてはほぼ無限に作り出すことが出来る)。この構造が、「物語消費」的なシミュラークルのあり方に親和性が高いことは言うまでもない。
しかし一方で、例えば近時の『這い寄れ!ニャル子さん』のような作品は、極論すれば、固有名詞(とその背後にあるルール群)を「クトゥルフ神話」に借りただけの作品であり、「体系」との整合性はほとんど顧慮されていないように見え、その意味で「データベース消費」的ですらある・・・しかしそもそも、1920年代に作られた「オリジナル」の「体系」自体がシミュラークルによって形成されている以上、クトゥルフ神話における「オリジナル」と「シミュラークル」の位相は最初からかなり相対的である。これらの作品もまた、「物語消費」的に「体系」の外部に位置づけることも理論的には不可能ではないのではないか、と思わせるところ、すなわち、「物語消費」と「データベース消費」の双方の特徴を併せもつところが、あるいは、クトゥルフ神話の名状し難い魅力なのかもしれない。

なぜこのタイミングで、という気もしますが、先般別件で(どの件とは特定しませんが察してくださいw)、自身の嗜好を言い当てられてしまったような気がしたもので、さしあたりその類型に属するキャラでぱっと思い当たった『スレイヤーズ』のアメリアを描いておきます。鈴木真仁は最近あまり声を当ててませんが、この類型のキャラははまり役が多いですよね。『赤ずきんチャチャ』とか。
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