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May 2010

ジツは金蔵は中国人だったのデス!death!

Knox

※このブログには、『うみねこのなく頃に』『うみねこのなく頃に散』のほか、以下の諸作品についてのネタバレやそれに類する言及が含まれています。未プレイ/未読の方はご注意のほどを。
・竜騎士07『ひぐらしのなく頃に』『ひぐらしのなく頃に解』『ひぐらしのなく頃に礼』
・中井英夫『虚無への供物』
・竹本健治『匣の中の失楽』『ウロボロスの偽書』『ウロボロスの純正音律』
・綾辻行人『迷路館の殺人』『どんどん橋、落ちた』
・西尾維新『クビシメロマンチスト』

・・・どっかで使われてそうなネタですが、この時点でロジック・エラーになってしまうのでしょうか。というわけで、『うみねこのなく頃に散』から、ノックスを描いておきます。しかしまあ、プレイ時間をとられる「ゲーム」ですホントに(笑
#しかし、どうしても彼女らはフトモモを露出したいのでしょうか(それこそそういう戒律でもあるんでしょうかね)。
##個人的には「煉獄の七姉妹」が好きです。

※諸事情で本文が遅れました。申し訳ありません。

竜騎士07による『ひぐらしのなく頃に』の作品構造は、そのメタ性に現代のリアルを読み込もうとする議論を含めて結構面白かったのだが(東浩紀『メタリアルフィクションの誕生』)、おそらく意図的なものではあれ、あまりにオプティミスティクに描かれた結末にちょっと肩透かしをくらった感じがあったので(『ひぐらしのなく頃に礼』や、コミックス版に添えられる竜騎士07のコメントにも、同じようにオプティミスティクな人間観が看取される)、『うみねこのなく頃に』にはいま一つ食指を伸ばさないままにいた。しかし、先般、複数の知人から『うみねこ』を比較的高く評価する声が聞かれたので、五月の連休を使ってプレイしてみることにした。
ところで、事前に知ることの出来た情報の中でもっとも強く私の関心を引いたのは、『うみねこ』がある種のアンチ・ミステリを志向している、というものであった。私は以前、前作『ひぐらし』のプレイ途中で、その<謎>の本質が、本編と本編の間に挟まれる「お疲れ様会」による入れ子構造なのではないか、と推測したのだが、これは中井英夫の『虚無への供物』や竹本健治の『匣の中の失楽』といった、アンチ・ミステリの日本における代表作を踏まえてのもので、特筆するほどの独自性はない・・・ただ、作者とのインタヴューにおいて太田克史がシンボリックに語っているように、竜騎士07は「ノベルゲームの世界から純粋培養的に出てきた」作家であり(「竜騎士07ロングインタヴュー」(『ファウスト』vol.5))、これらの作品を直接参照系とせずに、にもかかわらず、結果としてこれらのアンチ・ミステリに近い作品を描いているのであればこれは面白い現象だな、と感じたのである。
もっとも、上述したように、『ひぐらし』は結果としてアンチ・ミステリ的な枠組みを志向した作品ではない(なお、プレイ後の雑感を過去に記した)。しかし興味深いことに、『うみねこ』はおそらく、これらの先行作品を踏まえたうえで、敢えてアンチ・ミステリ的道具立てを用いようとしているようである。すなわち、『ひぐらし』においては幕間として位置づけがあいまいであった各エピソード間の挿話(「お茶会」)を、明瞭にセカンド・オーダーとして位置づけた上、第2話からはゲーム中に直接、セカンド・オーダーの視点からの俯瞰を示す構造が導入され(ゲーム中では、チェスのプレイヤーとその駒という比喩で説明されている)、更に第4話からは、サード・オーダーとして、作中の事件発生年次から12年後の世界からの、記録/記憶を媒介とした観測が導入される(棋譜を読むプレイヤーの比喩があてはまるだろうか)。また、この階層構造を作中で明示する装置として、ゲーム中においてフォントの色を変えて示される「赤き真実」や「青き真実」どいう仕掛けが導入され、既存のミステリでは、地の文で描かれているかどうか、あるいは、そのテクストが入れ子構造になっているかどうかといった問題を「ゲーム的」に表示出来るようになっている。
#極めつけは、第5話からファースト・オーダーとセカンド・オーダーにまたがって登場する「探偵」が、「探偵権限」をファースト・オーダーにおいても駆使できるという仕掛けであろう・・・ちなみに、これを応用した第6話の仕掛けは、ちょっと西尾維新の『クビシメロマンチスト』を思わせる良質の出来である。
ここで私の関心を引いたのは、作品世界となる1986年と、第4話以降に導入される「12年後の世界」、すなわち、1998年という二つの年号である・・・第5話において明示的に言及があるように、1986年は島田荘司の「占星術殺人事件」が既に発表され、翌年に綾辻行人のデビューを控えた年であり、1998年はおそらく、「新本格」ミステリのムーヴメントを語り得るぎりぎりの下限と考えられることは、何らかの暗示的意味を持つように思われるのである(ちなみに、新本格ムーヴメントを支えた作家たちによる実名小説である竹本健治の『ウロボロスの純正音律』の舞台は1997年から1998年にかけてである)。第6話の最後の応答を見る限り、『うみねこ』の謎は、例えば綾辻行人の『どんどん橋、落ちた』に代表的に示されるような叙述トリックを用い、かつ、おそらく『ひぐらし』のようなヒューマニスティクな物語を紡ぐのではないかと予想されるが、前者の手法はおそらく、ゼロ年代には共有されないであろうからである。
#この点『ウロボロスの純正音律』は敢えて過去を舞台としたことで、現在には妥当性を欠く説明を導入したのではなかろうか。

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