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June 2009

3つ食べてもいいですか?(キャベツなら300円程度です)

Kuro
この台詞実際には機内食についてのものだったのですけど、一番美味しそうに見えたのがキャベツを生で食べてるシーンだったもので・・・というわけで、無事アニメが終了した『黒神』から、ヒロインのクロ。なんというか、良くも悪くも期待を裏切らない作りで、とりたててココが面白かった、というわけではないのですが、私はわりとこういう手堅い作品は好きです(最終回のまとめかたもキレイでした)。何より、大食漢のクロが可愛いからいいじゃないですか(笑
#あ、衣装は前半のほうが好きです。なんというか、こう、狙ってる感じが(笑
##しかし、スライドショーの設定が上手くいかないなあ・・・。RSSの設定が問題なのか?

ここ数年ほどの間、アニメのOPはその作品の内容をある程度方向付けることを企図して選ばれているように思われるが、2008年下半期については、サンライズが製作するSFテイストの作品として『宇宙をかける少女』と『黒神』の2作品があり、このうち前者のOPがALI PROJECTの「裸々イヴ新世紀」、後者のそれが栗林みな実の「sympathizer」であったので、当初にわかに作品の傾向を図りがたい印象を受けた。というのは、栗林みな実が前半を長調、後半を短調の曲で担う、というのがサンライズの非ロボット系の(婉曲な表現(笑))SF作品のOP構成であり(私にとっては『舞Hime』の印象がかなり強いからであろう)、一方、ALI PROJECTについては、「コッペリアの柩」(『NOIR』)や「月蝕グランギニョル」(『AVENGER』)などのビクターのダウナー系アニメのOPを担うことが多い、という理解だったからである。
結果として、両作品とも2クールを終えてみると、『宇宙をかける少女』の後半OPは栗林みな実の「Miracle Fly」に変わり、ストーリーもまた良くも悪くもおおよそ『舞Hime』と同じような破綻を見せ、一方の『黒神』は、上述したようにそれなりにきちんとストーリーを収束させている(なお、OPはGRANRODEOに変わった・・・おそらく栗林みな実つながりであろう)。とすると、果たして『ソラかけ』の前半のALI PROJECTは果たして何だったのだろうか、という若干の違和感が残る。
#もっとも、私は昔「蟻プロジェクト」だったころの曲のイメージから、『聖ルミナス女学院』のOPが同じグループの曲だとにわかに同定できなかったのだが(笑
おそらくこの一年のアニソン業界は、鹿野政直風に言えば(笑)「激しく化け変わっている」のであり、これもまた、「ゼロ年代」という「ポスト95年」の地殻変動の一環と考えられる。私が上記の印象を構築したのはおそらく2000年代の最初期なのだが、この、たかだか数年前の印象が既に通用しなくなるほど、業界の流動性は高まっているのであろう・・・その点、ガンダムだろうとNHKの歴史番組だろうと、どの作品を手がけても軸がブレない梶浦由記は、ある意味立派である(笑
#いまだに、この文脈で評価できる作品としては『MADLAX』を超えるものはないように思うが・・・つーかあのアニメ、梶浦節でしか成立していなかったような(笑

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私自身がタコスになる!

Tacos
すみません、いつも適当に背景を塗ってるのですが、作中の「タコスに限らず名前に『タコ』がつくものなら」みたいな台詞を見て、つい北斎の『蛸と海女』を思い起こしてしまいました・・・品の無い連想で申し訳ない(でもこのネタ多いんじゃないかな・・・)。つーわけで、麻雀のルールを知らなくても愉しめる麻雀マンガ『咲』から、タコス娘こと片岡優希。そりゃあ嶺上開花は咲の必殺技ですよ。それ以上の説明は不要!(笑

大学の学部時代に入っていたサークルでは、入ってまずコントラクトブリッジのルールを叩き込まれたことを記憶しているが、その延長線上にあったであろう麻雀については、一応のルールは覚えたものの、結局大学時代にほとんど物理世界で卓を囲むことは無かった。何度か日吉の雀荘に行ったこともあるが、そこで何かが賭けられるようなことはなかったように思う・・・そのサークルではかつて先輩が絶妙なタイミングで大三元を上がったことがあったのだが、そのことは、ボードゲームの野球ゲーム(タイトル失念しました)においてパチョレックがホームランを打った、ということと等価に語られていた。おそらく、麻雀はあくまでテーブルゲームの一環として遊ばれていたのであり、そこにギャンブル的な要素はほとんど無かったのであろう。
このことはつまるところ、人は何故、ルールのあるゲームを「遊ぶ」のか、という問題に抽象化されるであろう。この問題に関しては、例えばゲームを「ギャンブル」として把握する立場からは、ゲームは(時折ランダマイズされた)リスクを伴うことで「生」の発露たり得る(つまり、生きる意味を反転されたタナトスの順接的表現)という見解を仮構し得るように思われる。また、ゲームの「ルール」に着目する立場からは、その制限下においてどのような仮定が成立し得るのか、という、ゲーム理論のシミュレーションの試行の束がゲームであるという見解もありえるだろう。あるいは、バタイユの言うように、ゲームにおける「蕩尽」こそがその本質とも考えられる。
#ちなみに竹本泉的立場からすると、ゲームを遊ぶという一点において人間とイカはほぼ同じ生き物である(『さよりなパラレル』などを参照されたい)。
しかし、これらのようにゲームの「外部」に立ってゲームを定位することが可能かどうか、という点も実は証明不能な問題である・・・ゲームは「ゲーム」として自律したシステムであり(例えば勝/敗という二分法のコード)、それが自己塑成的に運営されているにすぎない、という理解もあり得るかもしれない。ホイジンガはかつて、人は遊ぶ存在であるという分析を示したが(『ホモ・ルーデンス』・・・どーでもよいが、ホイジンガのこの分析は、今風に言うならばカルチュラル・スタディーズであろう)、その実は、人こそがゲームというシステムに遊ばれている客体に過ぎないのかもしれないのである・・・「けれども、終末がめぐってくるその日に、マアナ=ユウド=スウシャイは休息から醒めて、もういちど新らしい神がみと世界とを創ったあと、まえにあった神がみをぜんぶこわしてしまうにちがいない」(ロード・ダンセイニ『ペガーナの神々』)。

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しまったざんげちゃんにしとけばよかった

Nagi2
ネタは鮮度が大事・・・といいながら土曜日のことなのですが、出身校で研究会のあと、懇親会を学部の頃からなじみの店で催行したので、日本酒を空けているうちに感覚まで学部時代に戻ってしまったのか、二次会に行った後に朝までカラオケで延々アニソンを歌い続けてしまいました(笑)。幸い、ご一緒いただいたのが大変理解のある方だったので(ご覧になっていたら、この場を借りて改めて御礼申し上げます)、放映で聞いたことがあるだけで歌ったことも無い最近のアニソンをともかく片っ端から歌ってみました。で、朝5時に店を出がけに最後に歌ったのが「motto☆派手にね!」だったという・・・我ながら、もうすぐ不惑の声を聞くおっさんの行動パターンとしてはいかがなものかと思います(爆
#しかし、研究会後徹カラ、というパターンが今回初めてじゃないというのが恐ろしい・・・一回目は違う方とご一緒したのですが、この業界、やはり理解のある人多いのでは(笑
##別方面でも理解のある方だったので、「Cagayake!GIRLS」と一緒に「山頂晴れて」とか歌ってきました・・・平沢師匠の歌は、アイデンティファイできる程度に覚えていないと歌えないことがわかりました(笑
###ちなみに、最近の歌で一番難しかったのは「nO limiT」・・・おお、戸松遥つながり(笑

店頭で目にするたびに、帯には引かれるものの(1巻とか(笑))なんとなく購入していなかった『かんなぎ』のコミックスを、私はアニメのOPを見てから買いに走ったのだが(緩和されているとは言いながら、まだ「オリジナルのアウラ」を私は信じる質なのである(笑))、そのときは当然内容を良く知らずに「そうか、この自称神様がそのうちアイドルになる話なのだな」とバクゼンと思っていた。作中そのような方向性の話もあるので完全に誤りとはいえないが、ナギは所謂「アイドル」になるわけではないので、OPの映像と歌は勿論、「ナギ様が80年代的なアイドルだったとしたら」という「設定」で創作されたお遊びであることは早晩明らかになった。芸が細かく、よく出来ていることだなあ、と、当時は感心しながら見ていたものである。
ところで、今期から放映が始まった『ハヤテのごとく!』の第二期のEDは、メインヒロイン?の桂ヒナギクが生徒会三人娘にカラオケに連れて行かれて(キャラの設定上)結局本気で歌う、というシチュエーションなのだが、これにプロモ的映像が重なることで、結果としてヒナギクが「アイドルであるかのように見える」作りになっている。これはこれでかなり周到な仕掛けなのだが、『かんなぎ』と比較したとき、ここには「作品世界の中でキャラクターが歌うこと」をどこまでフィクションとして捉えるか、という問題が喚起されるように見える・・・というのは、『かんなぎ』においては、ナギがカラオケで(妙なCMソングを)歌う、という場面が作中に挿入されていたことを思い起こしたからである。
もとより、これらを実際に歌っているのは「声優」であり、この点において『かんなぎ』のOPと『ハヤテのごとく!』のEDは等価である。近時のアニメにおいては、OP・EDを声優が担当することは決して珍しいことではないが、しかし「フィクティヴな存在を演じる」階層としては、前者の場合は「アイドルを演じているナギを演じている戸松遥」という構造であるのに対し、後者の場合は「桂ヒナギクを演じている伊藤静」(を視聴者がアイドルの表象として捉える)という構造であり、両者にはメタ的な差異が生じることになる。
この点において今期最もシンプルなのは、作中におけるアイドルグループ「エクリップス」がOPを担当している、という設定の『バスカッシュ!』であろうか・・・やはり、『マクロス』は偉大な作品である(笑

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ゴッドは黒歴史を愛するのです~

God
数ヶ月間が空いてしまった間にいつのまにか3万ヒットを超えており、大変申し訳ない限りなのですが・・・なるべくこまめに更新するよう努力する所存ですので、今後ともご愛顧のほどお願い申し上げます。ネタも若干タイムラグが発生しておりますが、『まりあほりっく』から寮長先生ことゴッドをば。やはり沢城みゆきは良いですな。

「黒歴史」というワーディングは、言うまでもなく『∀ガンダム』の中で「宇宙世紀」という「正史」に位置づけることの出来ない作品群をもその系譜の中に位置づけようとする<語り>の作法を示すものであるが、このことに鑑みても、確かに私には、『機動新世紀ガンダムX』を一連の「ガンダムもの」のベストに推すという信条からしても、「黒歴史」を愛する傾向があるようである。
それでは、自分史の中にこのような「黒歴史」があるだろうか、と考えてみたのだが、恥の多い人生を送ってきたことは疑いようもなく確かだが(笑)、特段、この時の歴史はなかったことにしたい、というような時期は存在しないように思う。実際、本ブログでも、高校や大学学部時代における趣味嗜好についての言及の頻度は比較的高いように思われるし、職場環境に恵まれたこともあり(笑)、そのほとんどは別段隠し立てすることもなくそのまま物理空間でも言説の参照系として使用している。
#なので、10年ほど前にメイド趣味にそこそこ踏み込んだことがあること(例えばこの記事)も、特に隠しているわけでは無い・・・言及する機会が無いだけで(笑
しかし、逆に考えれば、このような「黒歴史」のなさこそが構造的な意味での「黒歴史」なのではないか、という問いを立てることも可能であろう。「正史」を語ることは、近時の「ナショナル・ヒストリー」批判が明らかにするように、暴力的な行為であり、そこに正当性を読み込もうとする強烈な意図があるからこそ(「正史」の場合は例えば「想像の共同体」としての「国民国家」)、その営為は問題化され得るのだが、そのような意味での強烈な自己同一性の形成の企図がおそらく私には欠けている・・・非常にベタなアイロニッシュな「自己」を「自己」として定位してしまうことの問題性が、そこには滞留しているのであろう。
#だからこそ、自覚的に分析的な手法で、自らの「属性」の析出を試みてみたりもしたのだが(例えばコレ)、その過程自体がメタ化してしまい脱臼する、という、ベタなオチがついてしまっているのである(笑

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