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ふたりの張飛

Double_chohhi
・・・色々忙しいんですが、真に忙しいと逃避する気力もなくなるので、今はまだ健康的な方でしょうか(笑)。ということで、『恋姫無双』と『一騎当千GG』の張飛。こういうのが同じ時期に放映されている日本は末期的なのでは、と思わないでもありません。
#ちなみにタイトルは『ふたりのロッテ』にインスパイアされているのですが、この種の作品で「ふたり」がひらがななのはお約束なのでしょうか?『ふたりと五人』とか、『ふたりはプリキュア』とか。
##そういや『一騎当千DD』ネタでも張飛描いてますね。お気に入り?
###べ、別に茅原実里が気に入ってるわけじゃないんだからねっ!(笑

この間、ちょっとした機会があったので、大塚英志の「物語消費」概念と東浩紀の「データベース消費」概念の違いを表現するのに適当な例について、類例をいくつか検討してみた。比較的現在でも通用する例としては、前者がガンダム(「宇宙世紀」が観念される「正史」と、それとの整合性を一応意識しながらも「宇宙世紀」を導入しない、また、富野由悠季が監督を務めない作品の混在)、後者がスーパーロボット大戦(まさに「スーパーロボット」という「データベース」から、プレイヤーが<物語>を解釈して読み込むスタイル)として説明しているのだが、最近、大塚が古典的には「ビックリマンチョコ」で説明していたような「物語消費」を志向するタイプの作品は徐々に少なくなってきている、という印象である。具体的な素材としては、『ネギま!』の展開を素材として検討したのだが、近時の『ネギま!』の展開が端的に示しているのは、所謂「ビルドゥングスロマン」、すなわち、古典的な「近代」的物語作法への回帰であり、企画冒頭に明瞭に志向されていた「データベース消費」モデルはほとんど機能しなくなっている。
#もっとも、私が寡聞にして知らないだけで、実際の同人市場には、例えばザジオンリーイベントとかが頻々と開催されているのかもしれないが(笑
一方で、『一騎当千』や『恋姫無双』などの流通の仕方を見ると、本来「物語消費」のレベルで消費されてきた<大きな物語>(これは所謂「グランドセオリー」の意ではない)が、「キャラ」のレベルに細分化され、その「キャラ」のレイヤーを重ねながらもそこには回帰しない形で「記号化」された「データベース」として流通しているように見える。ここでは、「キャラ」のレイヤーと、読者の「解釈」によって選び取られる「記号」との間に、因果連環を見出しながら「解釈」へと比重がかける、という、極めて複雑な<物語>技巧が洗練されつつあるのだろう。
例えば、『三国志』/『三国志演義』という<大きな物語>を素材とした作品(シミュラークル)は、かつては、例えば『反三国志演義』などのように、それを「物語消費」の形で消費するものが殆どであった。その場合、例えば「張飛」という「キャラ」については、活躍の度合いなどの比重にこそ左右されるものの、それぞれのシミュラークルにおいて化体される「記号」にはそれほどのズレは生じない。しかし、近時のシミュラークルは、『三国志』/『三国志演義』という<大きな物語>が存在しているにも拘らず、それを(おそらく意図的に)無視することで、その物語構造に畳み込まれた「キャラ」のレイヤーから、まさしく「キャラ」という因果連環にのみ接続する形で「記号」を附すことが出来るようになっている。しかし一方で、物語構造にヨリ深く折り畳まれた「キャラ」については、この「記号」の自由度は相対的に低い(例えば、『一騎当千』と『恋姫無双』の張飛像はいっそすがすがしいほどに違うが、両者の関羽像はかなり近似している)。
#これはあくまで仮説だが、「データベース消費」的な作品における「オリジナル」とのズレを測定することで、(狭義の)物語構造における「キャラ」の構造的重要性を割り出すことも出来るかもしれない。
##しかし、張飛は本来もっと重要なキャラなのでは・・・。

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Comments

>文月さん

どうもです。とすると、「キャラ」と「記号」の関係は、図像学で言うところの「アトリビュート」に近いのでしょうか(聖母マリアにおける青い衣装と百合のような)。確かに、張飛のアトリビュートは、関羽に比べるとやや弱いですね。

水滸伝の場合、得物をアトリビュートにする人物は多いですが、みんなキャラが濃すぎるので、よほど特色がないとあまり印象に残らないような(双鞭呼延灼とか、双槍将董平とか)・・・武松も確か二刀流のはずですが、なんだか素手で殴り合ってる印象があります(笑

Posted by: 鏡塵 | July 20, 2008 at 01:53 AM

>「オリジナル」とのズレを測定する

 この辺り、キャラ紹介を「既存作品の○○を想像してくれ!」で済ませる『水滸伝』が指標になるかと?
 つまり、キャラ記号的に重要なのは「得物」、そして容姿であり、性格とか役割は無視されやすい要素なのでは? とか考えたり。

 オリジナルの容姿での再現度は美髯公の認知度が高い関羽に全くブレがありませんが、張飛の「豹っぽい顔。虎っぽい髭」はお世辞にも認知されているとは言いがたいです。

 例えば、水滸伝の林冲はあだ名の「豹子頭」と得物の蛇矛で張飛を表しているわけですが、これで「ああ張飛のバッタものね」と納得出来る人は果たしてどれだけいるか?
 逆に長い黒髭が強調されている朱仝や関勝は誰でも関羽のバッタものだとわかるでしょうけど。

 この容姿の記号化という観点で見ると『恋姫†無双』の張飛の虎のブローチ(=オリジナルの張飛の虎髭をイメージ)というのは凝っていると思うのですけどね。

Posted by: 文月文 | July 19, 2008 at 08:32 AM

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