全力で本日は閉店するッ!!

いやあ、こういうバカバカしさ(←褒めてます。全力で)は大好きなのです・・・というわけで、『速水螺旋人の馬車馬大作戦』所収「ユートピア・カフェはあなたの友」から二等分隊女給のアプシダさん。ロバート・ブロックもなんだか懐かしい感じですねえ・・・速水螺旋人さんのことを、どなたか「ルネサンス的」と評されていたように記憶しているのですが、まさしく至言だなあ、と思いました。
#私は機械が描けないので、なんだかいいかげんな銃でトホホなことになってますが、一応PPsh-41ということで。
私自身は、お世辞にも字が上手いわけではないのだが、それでも、文字とグラフィカルなものが混在するタイプのテクストを作成する場合、出来る限り文字を手書きで入れるようにしている。この作法はどうやら、まず第一に、自分が生産するテクストは基本的には「批評/評論」であり、その次元では描画の作法を統一するのが望ましいのではないか、という志向、そして第二に、それと表裏一体の関係なのだが、たとえグラフィカルなテクスト(イラスト)であっても、私のそれは「創作」ではなく「批評/評論」としての「ネタ」の一部であるという自意識に導かれているようである。恥ずかしながら大学の学部時代には小説などを書いていた時期があり、その際には打ち出し原稿に自分でイラストをつけたりしたこともあったが、最後の頃には(といっても、もう10年くらい前だが)、わざわざペンネームを使い分けたりしていた。この身振りは結局、「創作者」としての自己に見切りをつけることで(消極的ではあるが)統合され、あらゆる事象をメタ化/脱構築するというライフスタイルへと繋がっていくことになるのだが、この「逃走」には、対蹠的に、およそクリエイティヴな存在に対する無前提の憧憬が存在することは言うまでも無い。
勿論、グラフィカルなテクストに手書きで文字を入れる、という統合は、「創作者」の立場でも行うことが出来る・・・というか、それがむしろ主流であろう。速水螺旋人やモリナガ・ヨウなどのイラストコラムや、竹本泉のエッセイマンガなどは、文字というシーニュがむしろクリエイティヴに機能しているからこそ「革命的」と評されるのであろうし、山田章博のイラストともマンガともつかない作品群に添えられるガラスペンの流麗な手書き文字は、それ自体が雄弁な美的「記号」である。
そもそも、およそマンガには、効果として添えられる文字記号が不可欠であり、それを「創作」として扱うことも、マンガを創る作業の重要な要素なのであろう・・・「あろう」という仮定でしか語ることが出来ないのは、私にはマンガを描く「創作者」としての才能がないからである。





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