いけない、おいらんになってしまう!!

やっと原作を読み終わったので、録りためたアニメを見ることが出来ます・・・ということで『狼と香辛料』の賢狼ホロ。多分100万人くらいが指摘してることだと思いますが、ありんす言葉からは反射的に林家喜久翁(元:喜久蔵)師匠を思い起こしてしまってどうしようもないのですがどうでしょう(笑
#しかし、OPがかなりの度合いで昔のZABADAKっぽいんでびっくりしました(OP曲すら聞いていなかったのです)。「五つの橋」とか「ハーベスト・レイン」とかを思い起こして、つい『桜』を聴きなおしたりしてしまいました(笑
##OPの「いさぎよさ」も、多分100万人くらいが藍さまのアレを思い起こしてるんでしょうね(笑
※少し加筆しました(2008.03.22)。
どうやら「エポック」と言葉が使い分けられているようだが、通例「エピック・ファンタジー」において語られる世界においては、その「叙事詩的」な時間は人間のものではなく、(弁証法的な)「進化」や「進歩」といった概念は持ち込まれないように思われる。従って、『狼と香辛料』を「エピック・ファンタジー」と称することには若干のためらいを覚える・・・無論、議論の存することろではあるが、例えばエンゲルスが指摘するように、経済活動、とりわけ、信用に基づく貨幣経済を前提とする「商人」の発生は、社会のありかたを不可逆的に変貌させるであろうからである(『家族・私有財産・国家の起源』)。
とりわけ、第1巻で語られる、貨幣の改鋳をめぐる「国家」の立ち現れ方などは、『狼と香辛料』の世界のヒエラルヒッシュな関係を構造化するシステムとしての<教会>の権威自体が、世俗の権力による「合理化」によって、いわば「脱魔術化」されつつあることを示している(『職業としての学問』)・・・我々の知るヨーロッパの歴史と異なるのは、『狼と香辛料』の世界では、その「脱魔術化」の作用を大きく踏み越える「奇跡」としてのホロが、実在する「暴力」として機能している点であろう(周知のことに属するが、ホロの原型は、ドイツの農村習俗に見られる「畑に最後に残されて立っている一握りの穀物」の中にいる「穀物の母」、及び、「狼または犬としての穀物霊」であろう(『金枝篇』(岩波文庫版)3巻151頁以下、242頁以下)。この「魔術的」な暴力が、<教会>という権威を、あるいは、貨幣経済という「脱魔術化」の装置を、いかにして踏み越えようとするのか、注意深く見守っていきたいところである・・・その間中、ホロとロレンスの甘ったるいかけあいを延々と聞かされるのかと思うと辟易するが(←良い意味で(笑


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