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January 2008

そーか「まず少し俯く」のが正しいのか

Mikoto
いや、何ごとにも「正しい方法」というのがあるのだな、と(謎笑・・・ちなみに典拠は第5話の次回予告)。というわけで、個人的連載テーマ「わが愛しの高燃費娘」として、『舞-HiME』から美袋命。けっこう前の作品になりますが、なかなか面白く見たのを記憶しています(続編の『舞-乙HiME』はちょっと・・・)。CV清水愛さんのイメージソング「ココロの剣」の絶妙な棒読み加減がたまりません(笑

さて、「高燃費娘」の「高燃費」たる所以は、「大食らい」によって摂取したエネルギーが「廊下どたたた」によって即座に消費され、蓄積されないという点である(ちなみに、これが能力の上昇、などの価値概念を含みこむと、「スポーツ少女」の類型になる・・・なお、スポーツがジェンダー的な視線を介在させるものであることは前述の通り)。生物学的な連環については詳らかにしないが、エネルギーが蓄積されない<身体>の表象は、やはりさまざまな意味で「小さい」というところに求められよう。
小倉孝誠の紹介するところによれば、19世紀ヨーロッパの女性美の表象には、「ほとんど身体性を感じさせない、あるいは透明な身体をまとったような」ものと、「ブルジョワ的な秩序が身体的なレベルで具現するようなもの」との分岐が見られるという(『<女らしさ>の文化史』)。前者はさしずめウォーターハウス的な美しさ、後者はルノワール的美しさ、とでも言えようか。本ブログでもかつて述べたが、前者においては、この文脈における「小ささ」の表象は、「子供の呼び声」という形で、ブラム・ダイクストラが指摘するような世紀転換期の「女性嫌悪」へと順接的に結合することになるだろう(『倒錯の偶像』)。
一方、後者においては、この文脈における「小ささ」の表象は、価値付けられることを拒絶することになろう。というのは、「ブルジョア的な女性美」とは、「夫が社会的に成功したことの反映」であり、そこで志向されている価値は、世代(及び夫が蓄積した資本)の再生産に資するか否か、つまり、「母である女性」として適切かどうか、という点に求められるからである・・・しかし、本来フェミニズム/ジェンダー論は、ダイクストラの指摘する「女性嫌悪」よりもむしろ、このような「近代的」な女性像をこそ排撃しようとしていたのではなかったか。
無論、20世紀末葉から21世紀を迎えて、このような指摘は機能しなくなっているという指摘は容易である。この点で示唆的なのは、やはり「胸ぺったんガールズ」である(『みんなで5じぴったん』がオリコンで紹介された際、なんとも気まずい思いをしたものだが(笑))。この3人の中で最もオーソドックスなのは、岩崎みなみの見せる反応、つまり、「ブルジョワ的女性美」に対する(オイディプス的!)コンプレックスとしての描出であろう。一方、小早川ゆたかの表象は、ダイクストラが評するならば、「女性嫌悪」を過剰に重層させたイメージ(「病弱崇拝」と「子供の呼び声」)と断罪されることになろう・・・とすると、あくまで「希少価値」と胸を張るこなたのスタンスこそが、ジェンダーに規整されないきわめてポストモダン的な振る舞いなのだ、と評し得るだろうか。

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地球に厳しく高燃費

Suzume
あー、年を挟んでしばらく間が空いてしまいました。すみません・・・ここ最近、生き方がネタ的に過ぎるとしばしば指摘されるところなので(具体的には、ネタだという理由だけで無批判に消費行動を行うのはいかがなものか、とまっとうな感性の方の顰蹙をいささか買っているので)、ちと反省すべきかなあ、と内省的になっていたのですが、すこし考えた結果、いまさらこの方向性は修正の仕様も無い、といういつもの結論に落ち着いたので(笑)、通常営業に戻ることにします。
#時期を外してしまったので、前回前振りしておいた干支のネタを描くのは止めておきます・・・ウチ喪中だったし、なにより著作権的にマジに危ないので(笑
イラストは、どんどんキャラが増えてどうなっていくのかやや不安な、カトウハルアキ『ヒャッコ』から早乙女雀。「これが学園コメディーの新定番」かどうかはわかりませんが、最近確かにこういったタイプの娘さんだけの群像劇が多くなっている印象を受けますね。雀は、「一限目体育だから」という理由で体操着で登校してくるような行動様式が果たして本当に素なのかどうかやや気にかかりますが・・・まあ、やっぱりソバは「ずぞー」「ぞぞー」と勢いよく食べて欲しいものですな。

話題が行きつ戻りつするが、巷間言われている定義に従うならば、『ヒャッコ』には、虎子と雀の二人の「アホの子」候補がおり、かつ、虎子の方がヨリその類型に近接している、とされているようである。とすると、私がフォローしようとする類型は実は、巷間言われている「アホの子」ではない、別の何かなのではないかとも思われる。そこで、自らの趣味志向を指し示す仮の類型として、「高燃費娘」というのはどうだろう、と思い立った。
理念型に近いものは、おそらく竹本泉「たべる少女ははしる少女」(『よみきりもの』2巻所収)の郡山かすみである。というのは、この作品に示されているのは、非常に純化された「小さくて大食らいで廊下どたたたな話」であり(24頁読みきりなので)、それ以外の要素は清々しいまでに排除されているからである。この制約により、例えば、「アクティヴ」という特色を共有しているけれども、「部活/体育/運動」というマスキュリンな価値観を混入させている、という点で「高燃費娘」と「体育会系/部活娘」と差異化を行うことが可能となる。また、知的レベルについての特段の言及が行われないことにより、「知性」や「常識」との位相を主たる属性とする「アホの子」や「天然」との差異化を図ることも可能であるかもしれない。
思うに、「高燃費娘」の魅力は、食事という生きるために必須の営為が、身体活動にダイレクトな形で変換されているところにあるのだろうと思われる。すなわち、非常に直裁なかたちで(なおかつジェンダー的視線からは自由なかたちで)「生」の価値を是認しているところが、この価値自体を直裁には承認しにくくなっているポストモダン的な人間に対する対蹠的な輝きとなっているのであろう。
#ちなみに、「高燃費娘」の存在はかなりの確率でダイエットの話題とリンクしているのは、ジェンダー的観点からは当然であると言える・・・その点で、惣菜屋の娘である『バンブーブレイド』のキリノの今後の動向には注目しておきたい。

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