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November 2007

「この手であなたの肝臓も、ぴんぴんした羊の心臓のやうにきれいさつぱり洗い立て、恋の染みまで一点も残らぬやうにしてお目にかけませう」

Yuno
今の「ヤンデレ」ヒロインは字義通り実行しかねない勢いですが、当然これは比喩的な表現です(ちなみに肝臓は、人間そのものやその魂のことを示すこともありますが、良く用いられるのは情熱や性欲の座の象徴としてですね(アト・ド・フリース『シンボル・イメージ事典』))・・・とはいえ、「恋は狂気に過ぎない」と言ってのけるロザリンドも、まあ立派なヤンデレでしょう(シェイクスピア/福田恆存訳『お気に召すまま』)。
イラストは、カッターナイフと斧が似合う『未来日記』の最狂ヒロイン、我妻由乃。「わがつま」じゃなくてわざわざ「がさい」と読ませるところに、何か含意があるのかとつい勘繰ってしまいますが(笑

さて、「アホの子」についてのネットの噂を見ていたところ、どうやら「アホの子」属性は、「ヤンデレ」の後に来るブームは一体何か、という議論の中から抽出された類型のようである。私は浅学にして、「ヤンデレ」なる属性が「属性」として機能し、流通していることを知らなかったので、ここは虚心坦懐に参考書にあたることとし、『ヤンデレ大全』(インフォレスト、2007)を購入して、ざっと目を通してみた。
『ヤンデレ大全』が的確にまとめているように、「ヤンデレ」という概念は、「経緯としては『ツンデレ』ブームが安定期に入って以降の言説状況が背景にあ」り、<ジャンル>として「美少女キャラの性格カテゴリーを創作する言葉遊び」が流行した結果、「『クーデレ』『素直クール』『素直シュール』などポスト・ツンデレが乱立する畑の一角で生まれた概念」である(6頁。どーでもいいことだが、このテクストを書いている人は意図的に「現代思想」っぽいワーディングを行っているようにも見える・・・ネタとして『ツンデレ大全』も買っておけばよかった(笑))。ここではまず、「言葉遊び」としての「ツンデレ」からの音韻上の変化、という点が前提にあることが確認できよう。しかし、「ヤンデレ」において「デレ」に接合された「病み/闇」が、通例の物語作法(狭義の<物語>)においては、かなりの蓋然性で悲劇を導くファクターであることは、近時の<物語>をめぐる言説情況を考える上でいろいろと示唆的である。
シェイクスピアの一連の作品もその類型であるが、ヒロインが狂気に陥ることにより収束する<物語>は、悲劇の類型としてはさほど珍しいものではない。実際、さまざまな意味で「ヤンデレ」作品への注目度を飛躍的に高めた(笑)『SchoolDays』の製作スタッフは、言葉の行動原理について「例えそれが破滅的な事〔で〕あっても、その行動は自分の想いを貫き通す事に基づいているのです」とコメントしている(22頁)。しかし、その結果出来上がった『SchoolDays』という作品自体も含めて、「ヤンデレ」を愉しむ姿勢というのは、悲劇を悲劇として享受するという順接的な鑑賞作法に止まってはいないように見える。
一つの楽しみ方は、マージナルなものとして逸脱を鑑賞する、というスタンスだろう。近時の「ヤンデレ」作品に、(サイコホラーならまだしも)単なるスラッシャーホラーに見えるものがかなり多い(らしい)ところからすると、このスタンスで「ヤンデレ」を愉しんでいる層は存外多いのかもしれない(帆掛さんにとっては良い世の中である(笑))。しかし、このスタンスの場合、<物語>においてロマンスはその基本構造から外れることになるであろう・・・ホラー作品に多少嗜みがある私などには、このスタンスは比較的諒解しやすいものである。
しかし、今ひとつの、おそらく極めてポストモダン的な愉しみ方は、「言葉遊び」の過程で「ツンデレ」の延長線上に発生した「ヤンデレ」という類型に消費者/創作者とも自覚的になることで、悲劇でもホラーでもないその枠組み自体を愉しむ(従って、そこで創造される「キャラ」や展開されるドラマトゥルギーがいかなるものであるかは問わない)というスタンスであろう。これは、政治的言説をめぐって生じる、左右どちらの志向であるかをまったく顧慮しない、いわゆる「祭り」を愉しむスタンスとやや似ている(鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』)。
例えば、私にとって『ひぐらしのなく頃に』は、基本的には良質な「ホラー作品」である。しかし、作者である竜騎士07自身の志向が大きく影響しているところだが、『ひぐらし』は「ホラー作品」として閉じることを選ばず(ましてや、「ミステリ」として閉じることは選ばれない)、作者が意味を読み込もうとする価値によって閉じられる・・・周知のように、この価値はロマンスですらない、ヨリ上位の形而上学的理念である。率直に言って、この極めて楽天的な理念に即して『ひぐらし』を愉しめるプレイヤーが多いとは到底思われない。しかし、『ひぐらし』について、レナや詩音を「ヤンデレ」のテンプレートとして消費する、という愉しみ方が存在するのであれば、『ひぐらし』を支持するファンが多い、ということにも一応の納得はいく。ここにも、日本のオタク文化の自己言及的な洗練の度合いを確認することが出来る、ということだろうか。

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