「然し、入口の扉を中心にして、水星と金星の軌道半径を描くと、その中では、他殺の凡ゆる証拠が消えてしまふのです」「そーなのかー」(光は東方より・14)

・・・<東方>には結構「アホの子」属性候補がいるような気がしますね。筆頭はチルノですが前に一度ネタにしてしまったので、次点のルーミアを描いてみました(ほかにも橙とかみすちーとかがそうかな)。こう返されてしまうと法水麟太郎にもどうしようもないでしょう。以下類例。
「皮肉な話だけど、市川の精神病院にいる爺やさんから教えられた、この聖不動経の経文をよく見るといい。ここには、君のしたことの一切が、全部、書き付けられているんだから」
「そーなのかー」
「二十年前にかの・・・Mを逐い走らしたかの卒業論文『胎児の夢』が、眼に見えぬ宿命の力をもって確実に彼をモトのところへグングンと引き戻してきたのだ」
「そーなのかー」
#しかし『風神録』は難しい・・・。
近時、初音ミクの動向を踏まえ、巷間では「アホの子」属性についての議論が盛んなようである。一般的に、「属性」の措定には、ほぼ同じベクトルを向いている「キャラクター」類型を蓄積することで、創作者/消費者の双方において共通了解を調達する可能性を上昇させる効果が見込まれているように思われる。すなわち、ある一定の「型(アーキタイプ)」の了解を共有することで、「キャラクター」の愉しみ方自体をテンプレート化することが、作り手・受け手共に可能になるわけである。これは単純に、効率の問題としては有効な方策である。
その一方で、「属性」の措定は、「ツンデレ」をめぐる言説に見られたように、「ほぼ同じベクトルを向いている」はずのキャラクターの集合を「定義」によって細分化するという作用ももたらすようである。そこで、例えば『つよきす』のような作品について、その全てのキャラクターを「ツンデレ」のテンプレートとして愉しむことが出来るか、それとも、定義による細分化作用によって、結果的に自らの「ツンデレ」の愉しみ方を先鋭化するかは、畢竟、消費者の側の作法に委ねられることになる。
「アホの子」属性についても、おそらく上記の二つの作用が同時に働いているのだろう。ネットの噂では(笑)、ともかく「アホの子」に類するキャラクターを集積してデータベースを作ろうとする動きがある一方で、その内部を定義によって細分化し、場合によっては「これはアホの子ではない」とオミットしたりする動きも平行して見受けられる。
どちらの方向性を取るかは、上述したように消費者の側の問題なのだが、「アホの子」をめぐる議論の特色といえそうなのは、「初音ミクがアホの子である」というところには最大公約数的な共通了解があるところであろうか。初音ミク自体には本来的には「キャラ」が備わっていないというところからすると、この現象は興味深い問題意識を投げかけているようにも思われる・・・究極的には、無限に意味を飲み込むことの出来る空洞にしか、人は共通了解という約束事を設定することが出来ないのかもしれない。
※オチがつかなかったので、この項続きます・・・。
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