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大きな歴史を食べちゃった(光は東方より・13)

Keine

・・・最初見たときは「ワーハクタク」という字面がなんのことなのかさっぱりわからなかったのですが、「were-白沢」なのですね。月齢に支配されて変身する、という属性だけで十分「妖異」なのだろうと思いますが、変身した結果「白沢」という妖怪になる、というメタな「妖異」が存在し得るのは、さすがに幻想郷ならでは、というところがあります・・・というわけで、変身前の上白沢彗音。どういうわけか変身後の姿の方が有名なのですが(笑
#しかし、『東方求聞史紀』によると、けーね先生は変身前でも宿題を忘れたりすると頭突きをかましてくるらしいですな(笑
##ちなみにタイトルは「けーねのえかきうた」(『東方乙女囃子』所収)より。

先頃、ちょっとした機会に、前近代の日本史を専攻している後輩筋の学生さんたちの前で、歴史学方法論について簡単な報告を行わざるを得なくなり、しかたがないので、あまりつっこんで読んだことの無い様々な近時のアプローチについて、聞きかじりのレベルの適当な話を適当にすることとした。ところが、やや意外なことに、それこそブローデルだのウォーラーステインだのといったメジャーどころの理論についても、前近代の日本史を専攻している学生さんはどうやらそれほど関心を抱いていないらしいのである。
上記した通り、私は決して歴史学方法論について詳しいわけではないが、それでもさすがに、いわゆる「戦後歴史学」的な語りがその自明性を失うと共に、アカデミズム的な「実証」の作法も射程に限界が来つつある、ということを、折に触れて感じるところがある(永原慶二『20世紀日本の歴史学』)。そこで勢い、ポストモダニズムについても多少の関心を持たざるを得ないのだが、後輩諸兄は、基本的には「実証」によって事が足りる、と今でも考えているようである・・・「大きな物語」ほどの共通了解にはならないにせよ、その後の歴史を語る際に、何がしかの共有可能性のある言説があるとしたら、やはりそれは、例えばフーコーのような思想家のものであるように思えるのだが、あるいは、ポストモダンの歴史家は既に、対話可能性という問題関心自体を失っているのだろうか?
#ハーバーマス的な「コミュニケーション」が持つ権力性を警戒しているのかもしれんけど(笑

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もはや半年近いブランクが空いてしまいましたが、本ブログの注釈です。 ■上白沢慧音 [Read More]

Tracked on January 11, 2008 at 01:30 AM

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