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June 2007

タンメンとワンタンメンはちがうものだ

Dona
・・・いや、特にタイトルに深い意味は無いのですが、OYSTER『男爵校長』(ウムラウト省略)からドナさんのお気に入りの台詞(何故ドナさんなのかは以下で明らかに・・・なるか?)。いやまあ、アリカの振る舞いも、小夜子さんの常識人っぷりも良いのですが。

* * *

星野陽さまからブログにて挑戦を受けてしまいました。挑戦は受けるのが宿命ですので(笑)、以下果敢にも応えることにします。お題は「無条件バトン」・・・ここでいう「無条件」というのはカサブランカ会談でルーズヴェルト大統領が語った例のアレではなく(以下略)
※今回は以下も口語体です。

1.無条件でときめく○○な人3人
・ 以前どっかで書いた気もしますが、大学生のころ友人と東横線に乗っていた時、前に座っていた妙齢の女性がブレイロックの『ホムンクルス』を読んでいたので、ひそかに驚き慌てていたところ、その女性が電車を折り際に一言「・・・面白いですよ」と言い残していったのにはときめきましたなあ。
・精神が年寄りなので、良い意味で「動物的」に元気な娘さんにはときめき、というか眩しさを感じますね。
・ミルフィーユ・桜葉。

2.無条件で嫌いな3つ
・価値相対主義的な言説の通じない場。「無条件で嫌い」を想定するような場はこれにあたりそうですが(笑
・精神論(あ、これ上のと被るか)。
・夏。

3.無条件でお金をかけられるもの3つ
・敢えて行っている自己言及的行為。
・まあ、書物でしょうか。
・最近、なんとなく見続けてしまった深夜枠アニメの主題歌CDを買うようになってしまいました。『一騎当千DD』とか(笑

4.好きな○○(行動)3つ
・舌先だけで人を惑わす衒学。
・古書店めぐり。
・惰眠。

5.無条件でこのバトンを受け取ってくれそうな(いただきたい!)5人
これはまあ・・・自発的に受け取る人がいれば。元のバトンには「その5人を色にたとえると」という設問もあるのですが、これは受け取っていただいた人に個別攻撃で。
#「挑戦はうちからすべきことだ!」

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雉も鳴かずばハーマイオニー

Ayumu
※若干補記しました(2007.06.20)←一瞬時を超えてしまった(笑
前にもネタにしましたが、アニメ化記念ということで、『ハヤテのごとく!』から西沢<練馬のベッカム>歩に綾崎ハーマイオニーの衣装を着せてみました・・・つか、「綾崎ハーマイオニー」って(笑
#ちなみにタイトルは古野まほろ『天帝のはしたなき果実』から。一応ミステリなのですが、殆どトリックには関係の無いこの種の小ネタ満載なのです・・・ミステリとしての出来はともかくとして(笑)、こういうのは好きです。しかし、戦後にも日本には帝国陸軍が残ってる設定(つまるところ『パヴァーヌ』みたいなSFなのですね)なのに、ガンダムはきちんと放映されてるのなこの世界(笑
##本屋に行ったら続編が出ていたのですが(『天帝のつかわせる御矢』)、エピグラフがハマーン様ですよアナタ(笑
###実は私、<ハリーポッター>シリーズは読んだことも観たこともないのですが。だからハーマイオニーも映画のTVCFでしか見たことありません。

・・・ずいぶん間が空いてしまいましたが(なんだか理不尽なくらい忙しかったもので)、TV完全オリジナル脚本の回での、キングスカッシャー登場シーンの無駄な作りこみ具合に敬意を表して(BGMがちと惜しかった)、『ハヤテのごとく!』について少々。
TV版『ハヤテのごとく!』では、番組の最後のスポンサー紹介のバックに必ず西沢歩の映像が流れ、彼女が(少なくともTV版では)物語の重要なキーであることを暗示している。作者自身によるキャラクター解説では、西沢歩は「特徴が無いのが特徴」であり、「その普通さがやがて物語においてとても重要な意味を持ってくる・・・はず」とされているが、この戦略は、『ハヤテのごとく!』における有効性はいささか疑わしいようにも思われる。
戸坂潤は、<常識>には消極的な意味と積極的意味があり、この相矛盾した側面が並存することを踏まえた上で、<常識>が積極的にもつ意味合いとして「それが平均値であるが故に・・・おのずから標準的なものであり、また理想的なものだというのでなくてはならない」とする(「『常識』の分析」)。しかし、この種の「健全」な常識が発揮されるには、実はかなり限定された条件が必要とされるため、結局のところそれはある種の少数者だけに開かれたものとならざるを得ない・・・西沢歩が帯びている<常識>は、消極的に解される「単なる平均値」と言わざるを得ないように見える(中村雄二郎『共通感覚論』)。
「ノルム」としての常識、基準値としての常識が示されている例としては、先に言及したように、『マリアさまがみてる』における福沢祐巳の場合が挙げられよう。ここで祐巳が示す<コモン・センス>は、『マリみて』の世界自体が「善」に引きつけられた人間観によって構成されているがゆえに、かろうじて成立しているに過ぎないのである(とすれば、これはどちらかというとコミュニタリアン的な世界観ということになるだろうか)。
さて、先の記事では、一般生徒の視点を導入することで『マリみて』の戯画的な世界観がメタ的視点から暴き出された、と記したが、実はこの視点もまた限定された射程のものであったことに注意したい・・・というのは、この「一般生徒」もまた、リリアン女学院の生徒であり、少なくとも経済的な基盤に関して言えば、祐巳とそれほど差があるわけではないからである。
#読者間でひそかな人気の桂さん(祐巳のクラスメート)もまた然り・・・なんというか、ロック的な「自然状態」にいるのですよ彼女らは(笑
この点、『ハヤテのごとく!』では、いささか困った事態が生じてしまっている。というのは、経済的基盤については、当初のライバルとして設定されたナギとの対比はまだ機能するとしても、読者投票でぶっちぎりの一位を獲得した桂ヒナギク(個人的にはこういうキャラ設定は面白みが無くてあまり好きではないのだがw)については、かつて作者が、『ハヤテのごとく!』とほぼ同じ設定で作った物語の帰結として、「お金持ちがいっぱい通っている」白鳳学院の生徒会長でありながら、「ブルガリ」が読めないレベルであることが示されており、西沢歩との対比は機能しにくくなっているのである・・・仮に、西沢歩の設定が、感情移入を呼び込む装置であり、経済的基盤やキャラクターの優秀さについての「平均値」でしかないとするならば、今の設定のままでは、<物語>の前景に現れるのはおそらく相当に困難であろう。
#あまつさえ、ヒナギクは「親に捨てられる」という経験についてハヤテと共有しているので・・・しかし、比較の視座を捨象して「今いる場所」を肯定するその手法は、なんだか「無知のヴェール」を思い起こさせます(笑

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