アルメニアのクリスマスは今でも1月なのでしょうか

浅学にして2巻が出るまで知らなかったのですが、世の中はこういうことになっておるのですね・・・というわけで、松山せいじ『ゾクセイ』第38話から、手芸部の神田詩保(ちなみに格好は、この間アキバのコトブキヤで食玩買ったときにレジに置いてあったフリーペーパー『A-STATION』vol.6から。このキワな雑誌についてはまたいずれ)。ギャルゲでは、感情移入をしやすくするために(なのでしょうか、私はおよそ創作物を感情移入によって愉しむ術を心得ていないのでわかりかねますが(笑))主人公の名前を変更できる場合があるのですが、マンガでこういうスタイルは初めて見ました。
#しかし、『エイケン』のときもそうでしたが、この作者は、ひょっとしたら狙ってやってるんじゃないか、というくらい「属性」なるものから遠い操作を平気でしますね(さすがに『エイケン』は読み続ける気力がありませんでした)・・・つーかそこで眼鏡外してどうする(笑
かつてレヴィ=ストロースが、フランスにおいて「火刑」に処されたサンタクロースについて、第二次世界大戦後のヨーロッパにおけるアメリカ的資本主義の伝播と、それと表裏一体となった「不気味なもの」の結合として分析を試みたことは周知の通りである(「火あぶりにされたサンタクロース」)。いわゆる「資本主義」が、<貨幣>という呪物によってそれ以外のあらゆる価値を平準化するのであるとすれば、20世紀初頭にファシズムにもスターリニズムにも陥らずに済んだ「成功した市民社会」の価値基準としての「アメリカ的資本主義」が、疲弊しきったヨーロッパにおいて「ヨーロッパ的なもの」を浸食するのは必然の結果であろう(さしずめマーシャル・プランは、「覇権循環」のために発動されたマジック・アイテムといったところか(笑))・・・仮に、第二次大戦後のヨーロッパにおいて「ヨーロッパ的なもの」が相対化され、そのことによって、クリスマスの祝祭が本来的に持っていた「異教的」な色彩が前景化されたのであるならば、その事態は、「キリスト教」というコードがヨーロッパにおいていかにコード化されてきたか、という経緯を逆照射するのに有益な分析対象となるだろう。
さて、先ほど『ちょこッとSister』の最終話を視聴していたのだが、この時期のダメなアニメにおけるいわば当然のお約束として、アイキャッチには紅白のおめでたくかつ扇情的な衣装をまとった無邪気なサンタクロースの図像が登場することになる。この図像が日本のオタク界においてどれほどの浸透力を持っているかは、書店で12月号のダメな雑誌が売っている書棚を少し眺めれば明らかであろう。果たしてこれも、「アメリカ的資本主義」に即した作用(動物化!)と見ることが出来るだろうか・・・「本来的には恰幅の良いおじさんが着る衣装を敢えて年端のいかない娘さんに着せる」というその選択には、なんらかのシニシズムが表現されているようにも思われるのだが(笑
#松山えいじが描く場合は順接的な「資本主義」の表現なのかもしれないが(笑




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