ナノナノはナノナノなのだ!休んじゃダメなのだ!

※おことわり※
このブログには、『ひぐらしのなく頃に解』のネタバレが若干含まれています。未プレイの方はプレイしてからどうぞ。
最近歳をとったせいか、こういう「動物的」な元気につい惹かれてしまいます・・・というわけでルーンエンジェル隊の中から、ナノナノ・プディング(台詞は前作とのコラボアルバム『ANGEL CALL』の中から)。アニメ版『GA2』の出来はスタッフが交代したのでいろいろ危惧されていたようなのですが、私は今のところ愉しんで見ています。とはいえ、まだキャラ付けがなかなか上手くいかないところはあるようですね。特にアプリコット・桜葉・・・あの姉の天然パワーはあまりに偉大すぎます。
#総じて、前作よりみんな良い人っぽいのが災いしたか?
「同士〔ママ〕よ、祭りを起こせ!」という惹句についふらふらと、『GA2』のOP曲「宇宙で恋は☆るるんルーン」のCDを購入して、職場で(!)リピートしながら聴いているのだが、「ハイテンション」と「祭り」というキーワードからは、どうしても鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』を連想してしまう(ちなみに私は「ミスターハイテンション」井上亘を思い起こさないでもないが、これは多分少数派であろう)。しかし同時に、「カーニヴァル」と「祭り」は果たして今どれくらい区別されているのか、という疑問も起こらないでもない。
折口信夫は「まつり」の原義は「神言を代宣するのであつたらしい」とし、平安期には「神は楽舞を喜ぶものと考へる信仰」が著しくなった旨述べた上で、春祭りが「一等醇化されてゐない」としているが(「村々の祭り」)、キリスト教圏における謝肉祭がゲルマンにおける春祭りを起源とするという説があるところからすると、あるいはこの二つの「祝祭」は類似の事象と捉えることが出来るのかもしれない。しかし、こと現代日本語における語法においては、「祭り」のイメージは、「カーニヴァル」のイメージ(その中でも特に、ラテン語圏におけるそれ)に包摂されているような印象を受ける。鈴木が「カーニヴァル化」として2chなどの「祭り」を前景化しようとするのも、このような語法の影響なのかもしれない。
ここでちょっと飛躍するが(飛躍してばかりだがw)、『ひぐらしのなく頃に』の終幕が「祭囃し編」だったことを思い起こしてみたい。伝奇小説的な舞台装置を持つ『ひぐらし』が、「祭り」というイメージに、いわば折口的な、超越的な審級を前提としたイメージを重ね合わせるのはさほど意外なことではない。しかし、多くの論者が指摘し、かつ、作者自身も(既に「皆殺し編」の時点で)告白しているように、「祭囃し編」は、『ひぐらし』の世界を貫く一つの思想、というか理念が純化した場合の結末、すなわち、マルチエンディングを備えるゲームにおける「トゥルーエンド」の提示であって、ミステリで言うところの「解答編」ではない。
実は、私は「祭囃し編」をプレイしていて、いささか唐突だが吉川英治版の『水滸伝』を思い起こした。周知のように、吉川英治版『水滸伝』は、作者の死去により、108星集結のすぐ後で終わっている。しかし、これも周知のように、108星集結の後の『水滸伝』は、ただひたすら彼らが欠けていく過程を追う、かなり憂鬱な物語であることを考えると、最も盛り上がったところで吉川英治の『水滸伝』は中断されているのだとも言える。これは勿論仮定の話だが、『ひぐらし』世代の読者が仮に吉川英治版『水滸伝』の続きを与えられても、彼らはひょっとすると「その結末を見届けない」という選択をするのではないか、そんなことをふと考えたりもしたのである・・・これは「祭り」というより、むしろ「カーニヴァル」的な営為なのではないだろうか?
#あるいはこれは、コーエー版『水滸伝』で、徽宗そっちのけでひたすら108星を集めるのに似た感覚かもしれない(笑
『ひぐらし』の作者が、小説ではなくノベルゲームをそのバックグラウンドとしていることの当然の結末なのかもしれないが、ここでもやはり、「メタリアル・フィクションの誕生」における東浩紀の理解が妥当であったということになるだろうか。以前書いたように、私自身としては、「罪滅し編」と「皆殺し編」におけるメタ構造(世界の複数性の提示)を更にメタ化する(作品の複数性の提示)ことでオチがつくのかと思っていたが、そもそもこの世代の作家は「オチがつく」ことの自明性の中に生きてはいないのだろう。ところで、この「オチがつく」ことの自明性に生きることと、実際に「オチがつくこと」は、重なるようで重ならない・・・自明であるからこそ「敢えてオチをつけることを拒絶する」というスタンスもありうるからである。このスタンスは<物語>の構造にきわめて自覚的なふるまいとなって顕現することが多いが、その端的な例として、私が『GA』第三期後半のED曲「ドタバタ☆エンジェループ」の中のフォルテの台詞を「オチ」に持ってくるであろうことは、賢明な読者諸兄ならばおそらくまるっとお見通しのことであろう(笑



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