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July 2006

アの国から’83

Gedgirl
おそらく、全国3000万人のダンバインファンなら必ず一度はやってるネタだと思うのですが、映画版『ゲド戦記』公開記念として、今更ながら「ゲド少女」を描いてみました。さすがに旧型、まあカラーリングは地味だし武器は剣だけだし、実に見栄えのしない感じがなんとも言えません。ちなみに、『ロマンアルバム・エクストラ』を見て描いているのですが、巻末に掲載されている富野カントクのインタヴューは絶好調で電波な感じです(笑

・・・最近昔話ばかりしている気がするが、私にとって、小学校高学年の時見た『聖戦士ダンバイン』は極めて鮮烈な印象のある作品である。小説を通じていわゆる「ハイ・ファンタジー」に触れたのは、確か中学校の時に<エルリック・サーガ>を読んだのが最初だったと思うので、これはいわば原体験に近いものであろう。その後、『ソーサリー』などのゲームブックを経由して、『コンプティーク』に連載されていた「ロードス島戦記」に触発されてTRPGにはまり込む、というルートはおそらく結構多くの人が辿っているコースだと思うが、『ダンバイン』に対する思い入れの度合いとその角度は、我々の世代の「ファンタジー」に対するスタンスにそれなりに大きな影響を与えているようにも思う。
「ダーナ・オシー」や「レプラカーン」といったオーラバトラーの名称が象徴するように、バイストン・ウェルは一方で、特にヨーロッパの妖精譚(フェアリー・テイル)を強く意識した世界であるように見える。「アイドルだけれど働き者で、マスコットにもなる妖精」のチャム・ファウの造形は、パックやティル・オイレンシュピーゲルのような性格付けと、ヴィクトリア朝に挿絵として流布したグラフィック・イメージをほぼ踏襲している。私は大学に入ってから、この種の妖精譚に耽溺することになるが、そのバックボーンには、おそらくバイストン・ウェルのこういった世界観があるようである。
しかしその一方で、バイストン・ウェルは、アの国の地方領主のドレイクが実力で勢力を拡大しようとする、ヨーロッパ中世的な叙事詩(エピック)の物語が紡がれる舞台でもある(もっとも、物語の主役はシーラ・ラパーナとエレ・ハンムとリムル・ルフトなので、中世騎士物語のようなマスキュリンな世界ではないのだが(笑))。ところが、ひねくれものの私は、どういうわけか中途から「エピック・ファンタジー」に批判的になってしまい、当時多くの名作を看過してしまっている(単に、そのころ圧倒的にクトゥルーにはまっていたからかもしれないが(笑))。この頃『指輪物語』も読んだのだが、もっぱら批判の対象としてのエピックとして読んでしまっていたらしく、つい最近映画化にあたって読み返すまで、あまり強い印象を持っていなかったくらいである(申し訳ない限り)。
・・・何が言いたいのか、といえば、私は『ゲド戦記』を同時代ライブラリ版で初めて読んだので(1992年初版)、それまで「ゲド」といえばフラオン王の愛機の古ぼけたオーラバトラー、という理解だったのである(図書館の書架では見かけた記憶があるが)。勿論、『ダンバイン』における「ゲド」は『ゲド戦記』を意識的に踏まえたオマージュなのだが(バイストン・ウェルには「多島海」もあるくらいである)、こういった転倒現象は、意識的になっていないと日常的に生じる、普遍的な現代的現象なのであろう。それを咎め立てるのではなく(かつて自分にはそういう傾向があったので強い自戒を込めて)、オリジナルとオマージュの緩やかな関係を承認した上で、その豊穣な文脈に視野を広げる寛容こそが、今は求められているのだろう。

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「うわ!!なんか懐かしいオチ!」自体が懐かしい

Plug
出オチ一発とはまさしくこういうのを言うのではなかろうか、という風情のぢたま某『ファイト一発!充電ちゃん!!』からぷらぐ・クライオスタット。世の中広いので、きっと絶縁体マニアっているのではないでしょうか(笑
#どうでもよいですが、この擬似ウサミミみたいなやつ、『ガオガイガー』以降よく見かけるのですが、何か特定の呼称があるのでしょうか?

・・・来し方を省みるに、学部時代の部室で講義をさぼっているとき、あるいは友人宅で泊り込んで飲み明かしているときなど、かなりの頻度で、バカ話をしながら思いつきの落描きを心の赴くままにしていた記憶がある(ほとんどその場で処分してしまうのだが、この間引越しの際、何点か出てきて赤面ものだった)。そういうときのネタは大抵、本当にバカバカしいものばかりなのだが、今にして思えば、これは、同じようなバカバカしいことを語らえる友人と時間を共有しているという点で、極めて贅沢な時間の使い方だったのだなと思う。
#一番バカな落描きが多かったのは多分、徹夜でTRPGのセッションをしているときでなおかつプレイヤーのとき(マスター率高かったのです)。出てくるNPCに頼まれもしないのにすべてイラストつけてた記憶があります(笑
##ちなみに、勿論大学の講義ノートにも落描きをしていたので、人にノートを貸してくれと頼まれると非常に困った記憶もあります(笑
巻末ページの記載を見ると、『ファイト一発!充電ちゃん!!』は、もともととらのあなの販促用描き下ろしイラストラフから誕生した企画なのだそうである。おそらく「充電するんだからアースがあるだろ」とか「きっと絶縁体のスーツ着てるに違いない」とか、この一枚を起点にして交わされた「思いつき」の連鎖が目に浮かぶようであるが・・・時代がデジタルになっても、人の連想能力は意外とアナクロなのだな、と妙に感心してしまう一方、昔の友人たちとこういうバカ話をする機会がまたあるといいなあ、と、ふと懐かしくなったりもしたのである。
#今はこのブログのイラストの下絵は、仕事場で一人で描いてます・・・(泣

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世にミニスカのタネは尽きまじ

Misaki
清少納言が聞いたら悲嘆のあまり憤死しそうなアレンジですが(元は「世に逢坂の関はゆるさじ」ですねw)、仏さんじょ『ろりぽアンリミテッド』から鎌ヶ谷みさき。こうなったらミニスカメイド縛りでどこまで行けるか挑戦してみたくなるところです(笑
#しかし・・・「サッカーがダメでも、この国にはまだメイド喫茶があるっ・・・!!」凄まじい帯のセンスに脱帽です(笑
##カバー裏の「萌仮面の部屋」もなかなかイカします・・・しかし、「幻の第13話」はやっぱりホントは第12話にしたかったんだろうなぁ。

以前、「萌え」と「オタク」の関係についての分析の際<自己言及性>というタームを用いたが、私のこの概念の理解はルーマンやトイプナーのもの(で自分が理解できた範囲のもの)である。ところで、ものの本によると、この両者の「自己言及」概念は、システム論のうちの第二世代にあたる「自己組織化モデル」、特に「自己触媒」と「ハイパーサイクル」に回収されるレベルのもので、第一世代システム(恒常性)のように時間概念を前提しないというレベルではないが、かといって第三世代システムの「オートポイエーシス」に言及するまでもないのだそうである(河本英夫『オートポイエーシス』)。確かに、社会科学に応用される際の「自己言及」は、よく考えれば第二世代の「自己組織化」概念で十分に説明可能なようにも思える。
例えば『ろりぽアンリミテッド』の場合、「メイド喫茶破り」が「公式なメイドコンペ」として成立する世界観がその背景にある。『Piaキャロットへようこそ』などの作品が「メイド喫茶」そのものを描いていたことに比すと、この作品は視線をメタ化(システム論で言うと「自己による境界設定」)していることになるし、このようなメタ化は確実に「時間」という媒介項を導入しないと行い得ない(メイド喫茶の成立当時には、こういったメタ化が可能になるレベルに至るかどうかは予測不可能であった)。しかも周到なことに、この『ろりぽアンリミテッド』は、作中作として『メイドウェイトレス☆みのりちゃん』なる作品を仮構し、この「オリジナル」を起源とするメイド喫茶の爛熟の歴史をも仮構する・・・作中登場するメイド喫茶「アンリミテッド」は、作中において既にシミュラークルと位置づけられているのである。
#どうでもよいが、『みのりちゃん』というといしかわじゅんのイラストが思い浮かんでしまうのだがどうしたものか(笑
こういった二重三重の視線のメタ化は、「オタク」文化の典型的な「自己言及性」を示しているようにも思う。かつてはこれは「アイロニー」と呼ばれたりした行動様式だが、その「批評精神」が今最も端的な形で見られるのが秋葉原である、というのは、それこそ何かの皮肉なのかもしれない。

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心はいつもアムンゼン(光は東方より・12)

Sakuya2
・・・ちょっと仕事が一段落したので、久々にブログを更新しました。実は一度描いたことがあるのですが、当時はまだ世界観がよくわかってなかったので(律儀に原作だけ見て記憶で描いてました(笑)・・・『妖々夢』しかプレイしてなかったので、マフラーはデフォルト設定だとばかり思っていましたよ)、リベンジの意味も込めて咲夜さんに再挑戦してみました。ホントはスカート丈を長くしようかと思ったのですが、咲夜さんの場合このスカート丈自体もネタになっているので、直しようがないのです・・・。
#今気付いたけど、題名と『妖々夢』がシンクロニシティを起こしてるんですねw
##しかし、ミニスカメイドが二人続くのはいかがなものかと個人的にも思います(笑

仕事で溜まったストレスを少しでも発散しようと性懲りもなく秋葉原を彷徨っていると、休刊時に予告されていた通り『電撃萌王』がリニューアルしていた。私の人生訓の一つに「バカをやるなら極北を目指せ」というのがあるので、ここは迷わず購入(1800円って値段設定はどうかと思うが)。で、帰宅してから、以前より一層救いようのなくなった誌面を流し読み・・・というか眺めていたら、突然どこかで見たような、とりとめのない散文調の文章に行き当たった。一瞬『ドルアーガオンライン』の紹介かと思っていたのだが、良く見てみると『東方香霖堂』とある。
「鉄道むすめ」の際に思ったことと近接する問題関心なのだが、『電撃萌王』を(しかもリニューアル第1号は創刊記念価格1800円で)購読する読者層と、<東方>シリースを愉しむ層は、果たしてどれくらい重なっているのだろうか。確かに、この連載は以前は『magazine ELFICS』という同人専門誌?に掲載されてはいたが、それはある種、「<黄色い楕円>のマンガが無法地帯である」という問題系として理解されるように思う。リニューアル版『萌王』のより一層確信犯的に過剰な「萌え」を志向する誌面を見るにつけ、どうしてもそこには<東方>の持つベクトルとの乖離があるように思われてならないのだが。
#ちなみに『萌王』と一緒に購入したふじもとせい『かみさまがここにいて』には「ハインラインです」「アシモフです」「押川春浪でございます」「海底軍艦かい!」という、よくこんなん連載してたな、ってギャグがありました(笑
##あ、これもやっぱり「そういうお前はどうなんだ」というツッコミが予想されますね(笑

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