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April 2006

予告された殺人の記録(ガルシア・マルケスネタではありません)

Rinko
しかし、まさか『夢使い』がアニメ化する日が思いませんでしたよ・・・というわけで燐子ちゃん(あ、「ドキン・ザ・レッド・ヴィールス」描き忘れた(笑))。どうせなら『ディスコミュニケーション』をアニメ化して欲しかったなあ、などと考えつつも、いずれにせよヤバい話なので忠実な再現はムリだということは、ひょっとするとあまりに公然の秘密なので誰もツッコミを入れないのでしょうか(笑
#しかし作者、『ディスコミ』連載時には「テレビをもってない植芝くんです」と紹介されてなかったか(『隔月イヴニング2』)。<精霊編>の最後が『アクマイザー3』だったときにはさすがにぶっ飛びましたが(笑

春の番組改変期である。最近DVDレコーダ(HDDレコーダ)を購入したので、時間帯が重ならない限りはとりあえず片っ端から新しく始まったアニメを録画してみているのだが、改めてチェックしてみると異常なくらいの数のアニメが地上波でオンエアされていることに愕然となる。傾向としては、ライトノベル原作が増えた、ということと、DVD発売が地上波放送開始と同時に告知される確率が高くなっている、という感じだろうか。圧巻は土曜日深夜帯のTVK、なんと一晩だけで5本である・・・さすがに全部見る気はしないので、間を2本ほどすっとばして、『ひぐらしのなく頃に』『夢使い』『西の善き魔女』を見ることとした。
#『ひぐらし』のアニメは、個人的には出来を危惧していたのだが・・・日常シーンを脱力感のある絵柄で再現することでギャップを上手く演出しているように思う。「あの」シーンにはもっとタメが欲しかったようにも思うが(その点では、コミックス版は健闘している)。なにより、沙都子@CVかないみかが、『祟殺し編』でどうなってしまうのかがとても気になる(笑
ところで、『苺ましまろ』のアニメ化の際もそうだったのだが、『夢使い』でも、未成年であることが放送コードにひっかかるのか、塔子の酔っ払いシーンは「低血圧」というよくわからない設定に変えられてしまっている。まあ番組を単体として見るならばさほど違和感が無いのだが、『ひぐらしのなく頃に』と続けて見ると、これはなかなか興味深い規範の問題が提起されることになる・・・周知のように、『ひぐらし』の冒頭では圭一と金属バットと血糊の場面が実に堂々と描かれているのである。すなわち、「公共性」という観点からは、「殺人」よりも「未成年の飲酒」の方がよりタブー視されているということになる。公共の電波が守るべき保護法益は、もっぱら蓋然性によって機械的に決定されているのだろうか。


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マスカット農家系頭脳明晰属性ってどんなだ

Ayako
タイトルの惹句は岡山娘の千津留ちゃんのものですが・・・もうネタとしてしかとりあげようがない(内容はほぼ読むに耐えないので・・・)『萌える都道府県 もえけん』から、昔住んでいたというだけの理由で「お茶摘み系しっかり者属性」の静岡娘、綾子さんです。「お茶の産地」をやたらと強調した説明が付されているのですが、「内面的傾向」として「東部はどちらかというとのんびり型が多く、西部ではてきぱきと動く女性が多く見られる」と、ひょっとすると統計調査かなにかに基づいたのかもしれない記述も見られます。
#どのみち、茶摘みの風景が見られるのは主として中部なのですけどね・・・。
##あ、でも「ちゃっきり節」は口ずさめるな。なんとなく。

TVKの朝のローテンション音楽情報番組(私は夜の再放送を見ているのだが)「sakusaku」のパーソナリティが、この3月で木村カエラから中村優へどバトンタッチした。木村カエラのすさまじい天然振りに比すと、新キャラの中村優は利発で知識量も多く(ガンダムは見ていないらしいが・・・18歳だから当然か)、これから番組がどのような方向に向かっていくのか注視しているところである。
ところでこの「sakusaku」は、どういう理由かわからないがやたらと地方ネタが多く、視聴者からのリクエストや製作スタッフの一方的な思い入れなどで地方都市の歌を作ったり(神奈川ローカルなので神奈川県内が多い・・・山北市なんて「ドラクエ2で言えばダーマの神殿~」とか歌われてた(笑))、ゲストやスタッフの出身地について延々としゃべりつづけたりすることがあるのだが、新パーソナリティの中村優は奈良県奈良市出身だということで、さしあたっては鹿と大仏についての対話が交わされていた。『もえけん』もそうだが、対話の土壌としては、やはり県外からイメージ化しやすいものが選ばれるのだな、と思いながら見ていたのだが、「高校生のときの遊び場は?」という質問に、中村優はやや口ごもったあとに「・・・ジャスコ?」と応えていたのが極めて印象深かった。
三浦展『ファスト風土化する日本 郊外化とその病理』では、ジャスコなどの大型ショッピングセンターが地方の独自色を薄め、ローカルな共同体を崩壊させる要因として挙げられている。「地方」について語る際に、一方では鹿や大仏のように、実際にはそこに住む人にとって必ずしも身近ではない事物を象徴として掲げ、一方では日本全国どこにでもあるジャスコやイオンやヨークベニマル(北温泉に行ったときお世話になりました)で日常を過ごす、という、存在の位相のズレのようなものが生じていることを、はからずも「sakusaku」は示してくれたことになる。この位相のズレは、三浦氏にいうように、均質な社会の広がりによる『下流社会』への沈殿、というシナリオを辿るのだろうか?・・・この点で、『もえけん』のプロジェクトの一端に、この均質化とローカリズムを兼ね備えた奇妙なシステムであるmixiが関わっている、というのは興味深い事実であるようにも思われる。

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三陸鉄道商品化許諾済

Alice_k
いや、宮古線と久慈線が一緒の第三セクターになってるとは知りませんでしたよ・・・というわけで『鉄道むすめvol.2』から久慈ありす@気動車運転士(←機動車、って書かなかったっけ?記憶違いかな)。他の私鉄ラインナップが小田急、東武鉄道と大手どころなのに、これだけ群を抜いてローカル色が強いような。ひょっとして、現地に行くと限定ものがあったりするのだろうか(笑
#リアス式海岸だから「ありす」って・・・三陸方面にこういう名前の娘さんがホントにいるか検証したいところですね(笑
##しかしまあ、ここの制服は描いてみると地味ですなあ。開襟シャツなのがかろうじて救いですが。

金曜に『タモリ倶楽部』を見るようになってもう数年になるが、最近この番組ではどうも鉄道ネタがとみに多くなっているような印象がある。元々「for sophiscated people」なのだから、ニッチなネタを追求するという方向性であることには変わりが無いのだが、「埼京線ダービー」といい、「パスタブリッジ選手権」といい、果ては「芸能界電車部(だったか?詳細忘れました)」を立ち上げてしまうところなど、かなりコアな部分まで突き進んでいるように思う。最初の頃こそ、鉄道に全く興味の無い共演者が世間との温度差を番組内で体現していたが、最近は共演者までコアになってきてしまっている(この間のNゲージの「KATO」でのロケのご褒美にみんな不平を言わないという時点でかなりのものである)。民主党前代表の前原さんのこともあり、鉄道マニア(いろいろな呼び名があるようだが)の認知度はかなり上がってきているのかもしれない。
しかし、翻って考えるに、鉄道マニアの集合と、『鉄道むすめ』のようなフィギュアを愉しむことの出来る集合はどれくらい重なっているのか、という疑問も残る。私の中では、鉄道マニアは「機械に惹かれる」あるいは「(交通という)巨大なシステムに惹かれる」というベクトルであり、比較的硬派(この定義も難しいが)という印象があったのだが・・・現在も連載中かわからないが、綾辻行人+佐々木倫子(この組み合わせもわけがわからないが(笑))の『月館の殺人』での鉄道マニアたちの描写からは、彼らが『鉄道むすめ』を買うような行動様式をとるようには思えないのだが。
#お前はどうなんだ、というツッコミはまあさておくとして(笑

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超兵器F1号(光は東方より・11)

Aya
いやあ、『文花帖』難しくてさっぱり進みませんです・・・ということで「伝統の幻想ブン屋」こと射命丸文。ローファーなのになぜか一本歯なのが凄まじいセンスです。カラスの名前は「諭吉」だったりするのだろうかやっぱり(笑
#こういう構図描くと「ユリちゃん、行くぞ!」「特ダネね!」という掛け合いをつい思い起こしてしまうのですが、この掛け合いが挟まるのは「ウルトラエース」というイメージソング?なので、実際に『ウルトラQ』の劇中にこういう掛け合いがあるのかどうか記憶が定かではありません・・・勿論、リアルタイムで見ていたわけではないので、多分に「創られた記憶」っぽいですが(笑
##そもそも、『究極超人あ~る』の時点で「超兵器R1号」のパロディなわけだから、一体どれくらいの複製回数のパロディなのかもはや判別困難ですな(笑

私は高校時代天文部で、その活動に天体写真の撮影があった関係上、白黒写真については一応現像までの行程を教わっている・・・現像液のあの独特の臭いがこもった暗室を今でも鮮明に思い出せるのだが、実は天体写真というのは写真の中ではかなり特殊な部類であり、ピントの合わせ方(ナイフエッジを使う方法とかを教わった(笑))や露光時間、フィルムの感度などについての私の知識はかなり偏っている。天文部で撮影したスナップ写真は、例えば「感度3000のフィルムで夜間数十分かけて千手観音のマネ」とか、「特に意味は無いが反射望遠鏡に接続して部室から校庭の人物写真を撮影」とか、「単なる打ち上げのバーベキューの光景なのになぜかリバーサルフィルム(←スライド映写機がないと見られない)」とかの類で、いずれも非日常的なものばかりであった。
そのためだろうか、私は一向にスナップ写真を撮るという行動様式に慣れることができない。そもそも私はあまり旅行には行かないのだが、高校卒業以降の旅先や日常のスナップ写真は手元にはほとんどないし、デジカメ時代になって手軽に写真を撮ることが出来るようになっても、大抵の場合デジカメ自体を旅先に持っていくのを忘れてしまう。
思うに、私にとって「映像を記録する」という行為は、日常の行動パターンに極めて組み込みにくい、ある種祝祭的な性質のものになってしまっているのだろう・・・当然私は携帯電話についているカメラを起動することはほとんど無いので、ニュース映像などで有名人が携帯カメラを向けられている映像には大変な違和感を感じてしまう。ここでの「記録行為」には、一体どんな意味が込められているのだろうか?
#天狗つながりということで、黒田硫黄の『大日本天狗党絵詞』を引くと、「散歩で猫に会うと、とりあえず写真をとることにしている」との作者のコメントがありますな。「謎のじいさん」とか、このヒトの写真センスは好きです(笑

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