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もはやスズダル中佐はマイヤー様でしかイメージできなくなってしまった

djanne
※おことわり※
このブログには、グレッグ・イーガン『宇宙消失』及び『万物理論』のネタバレが若干含まれています。もし未読の方は読んでからどうぞ・・・例によってほとんど関係ないですけどね(笑
いやその・・・『ねこめ~わく』と<人類補完機構>を両方読んでいないとわからんネタなのですが、火焔樹さまに指摘されて初めて、この二人境遇がそっくりだ、ということに気付いてしまったのです(笑。竹本泉のことだから、ひょっとすると『ねこめ~わく』自体に(直接的でないにせよ)<人類補完機構>の見えざる影響があるのかもしれませんね。
とかなんとか書いておきながら、一応干支なので、全国3000万人の<人類補完機構>ファンが年賀状に描いているに違いない(多分)<殉教者>ド・ジョーンを描いてみました。本当は成長後ヴァージョンにしたかったのですが、服装の描写がなかったので・・・しかし、成長前の彼女、「明るい青のスモック」を着た「年は五つくらい」って描写、なんかこう、いろいろマズくないすか(笑
『ディアスポラ』の評判が良いらしいので、前々から読もう読もうと思いながら未読のままでいたイーガンの作品をつい最近になって読み始めた。一応順序に従って『宇宙消失』→『万物理論』と読み進んだが、少なくともこの二冊は、前評判にたがわず極めて面白く読んだ。私は全くの文系人間で素人なのだが、素人ながらに量子論については前々から若干興味を持ってはいるので、よくよく考えるといろいろ疑問ではあるのだが、いっそこれくらい大風呂敷を広げてもらうと読後感は極めて爽快である。
#個人的には、人間がニュートン的/ユークリッド的宇宙にしかリアリティを感じられないことには、多分それなりの理由があるのだとは思うけど(笑
ところで、イーガンの作品には「人間の改変」というモチーフが(様々なレベルで)出てくるのだが、その改変・解体・変容のありかたがきわめてSF的でかつドラスティックであるにも関わらず、そこには、同じような解体モチーフを道具立てとして持つ<人類補完機構>シリーズに見られるような、「人間」に対するある種冷徹な距離感があまり感じられないように思うのは私だけであろうか。イーガンの作品では、肉体のみならず、記憶や感情すらも操作可能である場合が多いが、このことは逆説的に、人間の肉体や記憶や感情は操作するに値する、という「価値」を含みこんでいるのではないか、とも思える。『万物理論』でしばしば登場するジェンダーの議論と同じく、議論すること自体が既にバイアスの中にいることを証明する、といったような意味での、「人間」という存在の「メタ価値」の匂いを、どうしても私は嗅ぎ取ってしまうのかもしれない。
#書いてきてふと思ったのだが、『宇宙消失』も『万物理論』も、ドラマを駆動する主人公が「ドラマを駆動する」ことを当然の前提としている立場にあるのは偶然なのだろうか?クトゥルフTRPGの経験者なら誰しもが賛同してくれると思うのだが、「元刑事」とか「ジャーナリスト」とかがパーティーの中に一人くらいいないと、大抵話が進まないのである(笑

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