« March 2005 | Main | May 2005 »

April 2005

恋色マスタースパーク(光は東方より・5)

marisa
ずいぶん間が開いてしまいました。読者の方(がいらっしゃったら)すみませんです。ちょっと仕事が理不尽なまでに忙しかったもので・・・でまあ、なんだか絵も荒れてしまっているので仕上げのやり方を思い出しながら魔理沙を描いてみました。やっと『妖々夢』を魔理沙でノーコンティニュークリアしましたですよ(Easyモードだけど(泣)・・・しかも題名にしながらもレザマリじゃないし(爆))。
このブログでは<東方>シリーズについて延々とネタにしているのだが、このシリーズは、印象に残る言葉のやり取りがいわば<図>となって<地>としての「幻想境」という<地>にばらまかれてはいるものの、良く検証すると実はその言葉のやり取りについては決して整合性を持っているわけではない、という点において、ある種富野カントクの作る作品、とりわけ一連の<ガンダムもの>に似た構造を持っている、という話を友人たちとしたことがある。おそらく、<図>を埋めるために解釈者側が払わなければならない負担の度合いが、富野ガンダムも<東方>も、ちょうど心地よい程度の負担なのだろう(だから二次創作も多いのだと思う)。
で、魔理沙について書くにあたって、もう一つ富野ガンダムとの類似点があることに気づいた。それは、世界の構築のあり方とロマンスの親和性が極めて低い、ということである。もっとも、富野ガンダムについては基本的に(とりわけ異性に対する)コンプレックスがその要因であるのに対し、<東方>シリーズのキャラは、そもそもそういう次元に立っていない(ように見える)、という根本的な差異はあるわけだが。「主人」と「従者」、「師匠」と「弟子」という関係性はあるが、これはおそらくロマンスとは少し違うコミュニケーションのありかたであろう。
#そもそも幻想境には女性しか住んでいないようだしね・・・私はべつにヘテロセクシュアルな位相だけが恋愛のありかただとは思わないけれども、幻想境の住人には「エス」の香りすらしない(笑)。
・・・でまあ、何が言いたいかというと、『永夜抄』で魔理沙が敵に回って出てくる際のBGMが「恋色マスタースパーク」なのはどうしてなのかな、と思った、ということなのですよ(笑)。「ヴォヤ-ジュ1969」とか、そういう曲名がつくのには激しく同意するのだけども。
#そういえば、魔理沙のしゃべり口調がどうもどこかできいたことがあるような、と思っていたら、『アップルパラダイス』の朝ヶ丘絵里子だということに今気付きました(笑)。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

光になれ~~~~~っ!(とはきっと叫ばない。多分)

ppgz
巷で話題の『出ましたっ!パワーパフガールズZ』を勢いに乗って描いてみた(あんまり時間が無かったので線が荒いのは御勘弁・・・こういう時、作画の描線が最初から比較的すらっと描ける人が羨ましくなります)。でまあ、ハンマーといえばゴルディオンハンマー、ということで一つ(←何がだ(笑))。しかし『勇者王ガオガイガーFINAL』、ライブで午前一時半から見ると暑苦しくて眠れなくなりますな(笑)。
#しかし、あのピンク色のメカ生命体はなんだ一体・・・。
『パワーパフガールズ』は個人的は結構好きなアニメで時々見ていたのだが、何よりその魅力は<毒>であったように思う。大体、設定からして「ケミカルX」ってのがいかにもな<毒>なわけだけど(笑)。
科学の子たるアトムが正義という価値に忠実であるのに対し、「化学の娘」たるパワーパフガールズたちは、なんというか素朴に<力>に忠実であるような印象を受ける。例えば、敵が人質を取ってガールズたちに対抗する、という話しがあったように思うのだが、その時はたしか、ブロッサムが「人質なんてどうだっていい」的な台詞を吐いて吶喊していた(結果として人質は髪の毛チリチリになりながらも助かったので良かった良かった、とみんなで笑うシーンで終わっていたように思うが(←激しくうろ覚え))。しかし、リメイク版の絵柄で原作の<毒>を描くと、これは結局のところ、ブロッコリーの一連の投げっぱなしアニメになってしまうのではないか、という一抹の不安、というか期待を抱きたくなるところではある。
#今、仕事場で『ギャラクシーエンジェル』のボーカルセレクション『一番絞り』をヘヴィーローテーションで聴いているのだけれど(笑)、「六番目の天使~CHITOSE~」を聴くたびに、アニメ版とのギャップが脳裏をよぎって身悶えしてしまいます(爆)。
##なんだかんだいって『二番煎じ』も買ってしまうんだろうな(笑)。

| | Comments (12) | TrackBack (0)

どうやら髪留めの形に落ち着きかけているような気配

gizatan2
数年前に描いた、戦前の五十銭銀貨、通称「ギザ玉」の擬人化キャラ「ギザたん」を掲載しようと思ったのだけど、今見てみるとやや<萌え>度に欠けるきらいがあるので描きなおしました・・・なにやってるんだか(笑)。苦し紛れに肩から図柄にあった菊?を生やしてみたら、なんだか「許されざるいのち」のレオゴンのようになってしまった。
#しかし私の絵は等身が下がらないな(泣)。
果たして今どうなっているのか判らないが、これも藤田さまに教えてもらった<硬貨たん>シリーズ。<OSたん>には各OSの個性、という動因があったが、様々な硬貨(現用硬貨に限らないらしい)にいかなるドラマトゥルギーを見出すべきなのか、古い地球人の私としてはもはや予測すらつかない。擬人化という行為は、ドラマトゥルギーを紡ぎ得る主体として、人間でないものを人間の形に仮体して表現するのであろうし、なにより、お絵かき掲示板などの媒体で示される<硬貨たん>のグラフィックイメージには、ちょっとした背景説明を示す(もしくはそれを読み込む)コメントが記載されているのだから、そこにはかつて用いられていたものと類似の回路が存在している筈なのだが。
以前コミティアで<戦車少女>という、これはなかなかに良く出来た擬人化ものの本を買ったことがある(本来ならここでリンク貼るのが礼儀なのかも知らんがやり方がわからない・・・すみません)。そこでは、そもそも人間型をしていない戦車を擬人化するにあたって、デザインのマイナーチェンジは勿論、戦歴なども勘案しなくてはならない旨の作者のコメント、というか気概が記されていて、なるほどなと思ったものだが(私はミリタリーには全くうといのだが、おかげでちょっとT-34に詳しくなりました(笑))、多分<硬貨たん>の描き手がコインコレクターと重なることはほとんど無いのだろうから、使われているのはおそらくこの回路でもないのだろう・・・「データベース化」の客体としての<萌え要素>が、解釈者に負担をかけるということは再三記してきたが、これは逆に言えば、解釈者(そして現在では簡単に記号の発信者に転換する)に物語構築能力をいやおうなしに付与しているのだろうか。だとすれば、それが過去の<物語>とは様相を異にするであろうとはいえ、これは喜ぶべきことなのかも知れない。


| | Comments (1) | TrackBack (0)

月はいつもそこにある(ヒロインが幸せになる時点でガンダムじゃないけどね)

tifa
私的にベストなガンダムであるところの『機動新世紀ガンダムX』(別名<勇者ガンダム>(笑))のDVDボックスを購入して、わたししんがぁさまと一晩酒飲みながら堪能してしまいました(わたししんがぁさま感謝です)。月から照射されるサテライトキャノンのコンセプトも好きなのだけど、やはりGXといえばティファに尽きます(なんたって最終回のEDの最後が「あの」シーンで終わるんだからなぁ・・・もはやガンダムでは全然ないんだろうけどね(笑))。というわけで、勢いでガロードとネコミミ・・・じゃないラブラブモードに入る前のティファを描いてみたら、なんだかアール・デコのようになってしまった(笑)。
#そういや当時、最終話を見た後、何かというと「月はいつもそこにある!」と言い放って妙な顔をされた記憶があります(笑)。
世代的に私はファーストガンダムに思い入れを持つべき年代なのだが、ひねくれ者であった私は当時(再放送の時ね)なんとなく違和感を感じて、今ひとつ思い入れを持てずにいた覚えがある。で、これは当時の私が理解力不足だったゆえであろうと思い、長じてから改めて見直してみた・・・が、どうもやはり違和感が拭い切れない。勿論、日本のロボットアニメ史上画期的な作品であったことに異論の余地は無いのだが、富野カントクが概念化しようとする<ニュータイプ>のありかたが、今ひとつピンと来ないのである。
#「光る宇宙」とか、今見ても何が言いたいんだかさっぱりわからないのですよ(泣)。
最近思うのだが、これはひょっとすると、ファーストガンダムにおいて典型的に描かれる<ニュータイプ>のありかたが、特に異性との関係性の中で語られるからなのではないだろうか。そこで媒介となるのは様々な形のコンプレックスであり、『新世紀エヴァンゲリオン』で極度に戯画化される負のイメージであるようにも思われる・・・そうであるならば、基本的に「ボーイ・ミーツ・ガール」であるところのGXにおいて<ニュータイプ>が幻想として過去のものとされるのは、いわば当然の帰結ということになろうか。
#しかし、フロスト兄弟の元イメージが『NIGHTHEAD』というのは、言われてみて激しく納得するところ。それで逐一「兄さん」って言うのね(笑)。
##どうでも良いが、ドラマとしてはカリス・ノーティラスは女でよかったのでは・・・そうすると、ティファとの絡みでダメな演出が山のように思い浮かぶのだが(笑)。
###あと、一回登録したらサテライトキャノン使用時にニュータイプの同乗は不要、ってのもいらない、いやむしろ邪魔な設定では・・・ガロード一人だと撃てない、って制限があれば、ティファ同乗シーンがもっと増えただろうに(笑)。
####あ、こうやって人は二次創作に手を染めていくのかも知れん、と今思った(笑)。

| | Comments (8) | TrackBack (0)

擬人化の病(そもそもリプトンのアップルティーってあんまり売ってないような)

liptan
「お茶のおまけのミニチュア」ならぬ「おまけのお茶のミニチュア」であるところの「リプたん」。例によって極めて業が深いつくりである(作業中はあまり視線を注がないのが「紳士のたしなみ」だそうだが(笑))。一応現物見ながら描いてるんだけど、出来上がってみるとどうにも不自然なパースがかかってしまっているような・・・実際にはありえない面を同時に描く、ということはこれはキュビスムの手法に倣った作品だということか?(←違います。ブラック先生ごめんなさい。尊敬してます)。
何年か前のことだが、藤田氏に「最近こういうのがネットで流行ってるんですよ」と「ビスケたん」なるもののイラストを見せられた。これは確実に、ビスケたんオンリーイベント、略して「ビスケット」を開催するための、いわば言葉遊びといった類のものだと思うのだが(この「リプたん」もその類型であろう。ほかには「びんちょうタン」なんかがそうか)、世の中、というかネット社会は、この言葉遊びという枠を超えて、およそどんな対象についても「擬人化」という手段を用いて<萌え>化する、という、相当に洗練?された「遊び」のスタイルを確立させてしまっているようである。
#そういえば「~たん」という呼称はどこから出てきたのだろう?誤変換、あるいはキー打数の省略がネット特有の語法の主要な発生源だということを考えれば、やはり「~ちゃん」の縮約であろうか。
ここで興味深いのは、例えば<OSたん>シリーズに見られるように、ネット社会における擬人化については、ある一定以上のグラフィックイメージが蓄積されると、それが識別可能なように記号化され、時によっては<萌え要素>となりやすいように淘汰されていくという現象である。OSとしての特色から「Meたん」がドジっ娘キャラになるのは首肯され得るところだが、ネットで公開されているそのほとんどが緑系の髪を持つ、というのは、この記号化の帰結であるとしか説明出来ない現象であろう。
「MS少女」の昔から、擬人化の技術というのは日本の文化(の主に底辺(笑))に存在しているわけだが、これはあるいは、モノに「憑く」なにものかを想像し、時には可視化しさえしてきた、わが国の「あやかし」の持つ性質の常なのかもしれない・・・などと『もっけ』の4巻を読みながらふと考えてしまったわけなのだが、これもやっぱり作者に悪い想像だな、と今思いました。ごめんなさい(笑)。

| | Comments (10) | TrackBack (0)

« March 2005 | Main | May 2005 »