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March 2005

抽象化の病(テスはそもそもテレーズの略称って知ってた?)

maria
今回語る話のネタ元の一つが、数週間前の<ミュシャ展>→<新横浜ありな凱旋帰国展(二度目(笑))>の後の飲み会での話だったのでなんとなく絵柄をミュシャ風に(火焔樹さま、hirさま感謝です・・・なおかつ、hirさまには『動物化するポストモダン』を押し付けてしまって申し訳ない)。さしあたり目に付いたメイドさんということで、『ハヤテのごとく!』のマリア。もう少し固体識別できる固有名詞をつけるべきだと思うが(笑)、ボケだらけの作品世界の中で要となるキャラなだけに今後が期待されるところ・・・主人公とヒロイン?のボケ合戦を「軽く流すことにした」とか言ってる時点で先が思いやられるが(笑)。
#しかし、毎回ギリギリなサブタイトルのネタを通している編集さんはある意味とてもエラい(笑)。
恵比寿の東京都写真美術館で、良い機会だと思ってそれまで読んでいなかった森川嘉一郎『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』を購入、出張先でざっと目を通した。ヴェネチア・ビエンナーレの日本展のコンセプト元はこの本なのだということがかなりはっきりと判る内容だったが、章によって分析の質にかなりのばらつきがあるような気がして若干の違和感を覚えた。この、著者のアプローチ方法による分析の質のばらつきは、最近のいくつかの<萌え>分析論考において共通して覚える感覚である・・・無論、<萌え>というなにやら良くわからない意味作用を、自らの得意とする作業仮説に即して「外縁」から定義しようとするのだからこれは止むを得ないのだが。
#おそらく専門に近い(分析もその分高度な)万博会場やサティアンについての議論の地の文で、著者は恐らく「秋葉原の地霊」(37頁)なんて表現は使わないだろう(笑)。
森川嘉一郎が著書の冒頭で簡明に説明している<萌え>は、基本的に東浩紀が「データベース」という概念で切り取ろうとしているものと通底するようであるが、ここでは、解釈対象としての<萌え要素>は<物語>から遊離してデータベース化可能な記号である。ここでいう<物語>を、大塚英志の『物語消費論』をいわばレンズにする形で、フランシス・フクヤマやリオタールに結びつけるのが東浩紀の議論のミソなのだが(多分)、個人的には、大塚英志が評論として、「外縁」からの歴史学的・社会学的<物語>について語りながら、一方で自らが創作者として、より一般的な名詞に近い意味としての<物語>(前者をナラティヴ、後者をドラマトゥルギーと言い分けた方が良いかもしれない)を、いわば「内奥」から語りだす立場にもあったことが、<物語消費>という概念を複雑化させたのではないか、という気がする。
・・・話がややこしくなってしまったが、単純化すれば、今の<萌え>についての議論は、「萌えキャラ」について適用することは出来ても、「キャラ萌え」について適用するのが難しい、ということである(←端的に言い換え過ぎか(笑))。私はあるきっかけから(笑)、「メイドさん」についてかなり長いことさまざまなことを語ってきたが、特定の作品に登場する(いわば「記名」された)「メイドさん」の魅力を<メイド萌え>という概念に抽象化しようとすると、そこからは(議論の土台が構築される一方で)様々なものが零れ落ちていくのを感じる・・・この「零れ落ちる」感覚こそ、おそらく「内奥」にいる者だけが感じることの出来る特権的感覚なのであろう。
#あ、これって声を大にして「私はオタクです」って言ってるってことか(笑)。


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そういや国務長官出てこなかったなあ

paura
※おことわり※
このブログには映画『ローレライ』のネタバレがちょっとだけ含まれています(あんまり関係ないけど(笑)))。というわけで興味関心のある方は鑑賞後に読んでね。
いやちょうど本当の歴史ではアメリカで国務長官が有名な(八月革命説の根拠の一つになった(笑))「バーンズ回答」を書いてるとこなのに、アメリカ側の艦隊は「太平洋艦隊長官」(ニミッツか?)の名前しか出さなかったので。
実写にも関わらず映画の作られ方が極めてアニメっぽかったのでイラストも絵コンテ風にざざっと。自分の技量の関係から実際の登場人物はどのみち似ないので、いっそ「伊507たん」にしてしまっても良かったんだけど(笑)、一応パウラ・アツコ・エブナー。しかし、資料のつもりでパンフレット買ったのに、出渕裕デザインの「ローレライシステム」のカットの写真が全然掲載されてない(泣)・・・しかたないのでほとんどイメージ画です。
先週末、これも古い友人連である(しかし最近古い友人とばかり出かけているようだが、要は新しい友人を開拓していないだけのことか(笑))藤田さま、鮫島さま、火焔樹さまと映画『ローレライ』を見に行った。私は全く何の予備知識も持たずに見に行ったのだが、ちょっと知っていたらしい火焔樹さまが上映前にぽつりと「樋口真嗣監督ですよ」と教えてくれたおかげで特撮モードで鑑賞することが出来た私にとっては、フジサンケイグループがかんでいる以上止むを得ない政治臭(笑)を除けばそこそこ楽しむことが出来た映画であった。事前に『終戦のローレライ』を読んでいたという藤田さまにはいろいろな意味でものたりないところがあったようだが。
#特撮として見せるのだったら、話の核になっている「ローレライシステム」がもっと派手でも良いような気がするが・・・これが『Uボート』とかの世界観ならその有難味もさぞや、とは思うが(笑)。ナチスの生物兵器なら、クジラの大群を呼び寄せる位のことはして欲しいものだ(笑)。
でまあ、企画の意図が良くわからなかったので帰宅後パンフレットを読んでみると、やっとどうしてパウラが作中ああいう位置づけなのかが了解できた。なにしろこの企画(映画と小説は併行的なのだそうだ)、もとは<第二次世界大戦><潜水艦><そこに何故か女性が絡む>という「三題噺」が大元なのだそうである(笑)。なるほど、だから役所広司演ずる艦長絹見が、ラスト近くでアノ台詞をアノカット割りで叫ぶのか、と激しく納得してしまったのであった(笑)。
#庵野秀明が協力してるしね(笑)。
##原作の福井晴敏の「大人が食べられる普通の皿で出すガンダム」って狙いは、ちと惜しいかなと(笑)。一般のヒトはどう見たのだろう。

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悲しみの永久凍土(特別でないダメな一日・3)

kumi
自分の中に「ツンデレ」属性が全く無いため、果たして何を描いてよいものやらさんざん悩んだ末「コレかっ!」と思ったのが『エイリアン9』の川村くみ。作品のシチュエーションが特殊すぎて、どこが「ツンデレ」なのかかえって指摘しにくい気もするが、「なんかくみちゃんて生まれながらの委員長て感じだね」ってことでひとつ(笑)。しかし『エイリアン9』、SFとして私は好きな作品なのだけど極めて他人に薦めにくい・・・中扉にスパッツのアップとか描かれるとねえ(笑)。
#流れ的に<東方>キャラにしようかと思ったのだけど全然思い当たらなかった(笑)。
さて、恵比寿→武蔵小杉とダメな巡礼を続けてきた我々は、武蔵小杉駅構内の書店でぬかりなく『もえるるぶ』をゲットし(買ったのは私だけだが(笑))、同じ東横線沿いで、学生時代の思い出の地日吉にて打ち上げと相成った。
#つまみを頼む際になんこつ揚げを「みさくらだ!」と言い換えて、店員にイヤな顔をされたのは言うまでも無い(←ウソです(笑))。
店ではまあここで要約できない程に多岐にわたる話題がこれでもかと展開されたのだが、その中でO氏が、自分がグっと来るキャラを示すコトバとして用いていた「ツンデレ」という表現について少々。なにしろ未知の領域なもので、どんなベクトルを示すコトバなのか皆目見当がつかないのである。帰宅してぐぐってみると、どうやらこれは2ちゃんねるのスレッドで醸成された概念のようで、しかも扱われているキャラの多くが最近の年齢制限付ゲーム(余談だが、O氏はアレげな単語を一般名詞に言い換えるのに長けていて勉強させていただいた・・・ちなみにガシャポンは「カプセルベンダートイ」である(笑))のキャラで、古い地球人の私にはさっぱりわからないのである。「ツンデレといえば魔想志津香ですか」とかゆーても今の若人にはきっと伝わらんだろうしな(笑)。
#そういやハマーン様は「ツンデレ」だなきっと(笑)。
私の既存の概念の中で「ツンデレ」属性を持つ蓋然性が高いキャラは、作中の役割としての「委員長」か「お嬢様」かあるいは「秘書」か、ってとこだろうか・・・しかし、あまり年代が変わらないはずの私とO氏とわたししんがぁさま(火焔樹さまはちと離れている)の間でこれまで鑑賞した作品があまり重ならず、話を噛み合わせるのにかなり苦労する、ということに改めて驚愕した次第。やっぱり『愛の戦士ヘッドロココ』は必読ですか先生(笑)。
#あ、『よみきりもの』8巻は無事購入しました・・・『今日の5の2』もついでに(笑)。

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奇矯な隣人(特別でないダメな一日・2)

ruru
火焔樹さまのガイダンスに従って購入した『もえるるぶ 東京案内』から、イメージガール(なのか?)日帰るる。帯にどでかく描いてあって盆百のるるぶと一線を画してます(帯はずすと普通のレイアウトなんだけど)。どーでもよいが、みさくらなんこつデザインのるる(ガヴァドンにならってるるBとしておく(笑))、帯以外は最初の6ページ(見開きイラスト3枚)しか登場しないという、同人誌にありがちなコトになっているのがイタい(笑)。基本的には風上旬デザインのるるA(くまの帽子の方)が秋葉・新宿・池袋などをガイドするというつくりなのだが、さすがにるるぶ、しっかり役に立つように作られているのが恐ろしい。
#途中にはさまれるテキストに「メイドカフェ:愛でたい異性への欲望と見せたい制服への耽溺との共犯関係。自分が傷つかない距離でつながれた互いの願望をかわいい「メイド」が仲介してる」など、微妙にこれもイタいのが含まれているのが良い感じである(笑)。
というわけで前回の続き。新横浜ありな凱旋会場への入場を断念した火焔樹さまを交えて次の目的地を相談する。ミュシャ展という案もあったのだが、やはりここは流れを重視して、ということで武蔵小杉に移動、川崎市民ミュージアムの『CLAMP四 MANGAアートは時空を超える』へGO。
川崎市民ミュージアムは、駅からバスで10分ほど離れたところにある極めてバブリーな作りの建物であった。おそらく通常は市民の関心に即した展示が行われているのだろうが、チケットを買ってこれまたよくわからない作りの建物内部を移動していざ会場に入ると、いきなりチョロQモコナ号がお出迎え・・・会場内は、どういうわけか多かったロングへアの女性がみな無言で、食い入るように原画を仔細に観察しているのがデフォルトで、普段は閑散としているのであろう市民の文京施設が、これもまた極めて濃い空間へとシフトチェンジしていたのである。
#展覧会自体は私は結構楽しめました・・・画材の選択の仕方とかが面白かったし、なんだかんだといいながらもやっぱり線は綺麗だし、あと作品ごとに描線を変えてるのも興味深かった。
で、展覧会を堪能して会場の外に出ると、だだっ広い建物のレイアウトを生かして、明らかにこれまで売れ残ったものとわかるCLAMPグッズ売り場が特設されていたのだが、どういうわけか、市民ミュージアムの常設売店にも、わざわざCLAMPコーナーが設けられていた。前者はともかく、後者はあきらかに普段と同じスタッフで運営されており、はたして川崎市職員のみなさんはこのイベントをどんな目で見ているのだろうか、というのが相当に気になった(笑)・・・しかし翻って考えてみると、川崎市の職員の中には、CLAMPのイベントを(それもかなりの規模で)市民ミュージアムに招致できるくらいの実力があって書類も作れる方が確実にいるのである・・・おそらく日本社会のあらゆる部分で、我々の同志たちがひそかにその力を発揮する機会を伺っているのではないか。川崎市民ミュージアムからの帰途、そんなことを漠然と考えていた私にとって、『もえるるぶ』はまさにこれもシンクロニシティの証明とでも言える書物であった。JTB、頼もしい限りである(笑)。
#この項まだ続きます・・・。

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新横浜ありな故郷に帰る(特別でないダメな一日・1)

arena
旧約聖書の昔から(笑)巨大な生物に壊される建物といえば大阪城と決まっているので、城を背景にしてみました(イメージは大阪城なんだけど、よく考えたらありなの故郷は秋葉原だから、確実に大阪は経路に入らないなあ(笑))。この間ディスプレイを液晶に買い換えた効果として、パソコンデスクに手持ちのフィギュアを並べる余白が生じたので、実物を見ながら塗ることができました(笑)。
#しかしこのフィギュア、イタリアで「上着は脱着可能」というキャプションはちゃんとついていたのだろうか、ちょっと気にかかるところである(笑)。
この間の日曜日、「文化庁メディア芸術祭」にイタリアから新横浜ありなが凱旋帰国するというので、わたししんがぁさまと古い友人のO氏と連れ立って、その偉業を称えに恵比寿まで出向いた(なお、コンセプトは「コンテンツ産業の現状についてのリサーチャー」だったので、わたししんがぁさまと私はスーツ着用で臨んだ(笑))。イベントとしては「文化庁メディア芸術祭」の一環なのに、B1Fのこの凱旋イベントだけ有料(でも300円)で、なおかつ、実際会場に向かってみると、いやおうなしに恵比寿ガーデンプレイスの空気がそこだけあきらかに澱んでいるのがなかなかに可笑しかった。場所柄まじってしまったらしい一般の方が展示ブースの途中からいつのまにか脱落していくのも首肯されるところである。
#恵比寿駅出たあたりの目に付く場所にスク水のありなの柄のポスターが貼ってあったので、そのあたりから澱みは始まってたけどね(笑)。
会場自体はキャパシティの問題から、イタリアの際の展示を抄録したようなものであり、なおかつ、我々にとっては「いや実際秋葉行けばもっと濃いっての知ってるから」という内容のものだったので(笑)、専ら、頭上だけでなく足元にも等間隔で張られているアレげなポスターのうち踏んではいけないもの(えり子のDVD販促ポスターとか(笑))をよける、という行為に楽しみを覚えてしまったのだが・・・そもそも逆輸入版のカタログ持ってるし(ちなみに会場では売り切れてました(笑))。
でまあ、ひととおり会場を回って、地上に戻ったところで火焔樹さまからTEL(土曜に連絡をいただいていたのだが電話取れなかったので朝携帯にかけてみていたのである)。昨晩の用事を聞いてみると「いや、新横浜ありなの凱旋を一緒に見に行こうと思ってTELしたんですが」(註:ダイアログは一部加工してあります)・・・まさにこれこそがシンクロニシティというものであろう。なんとなくテンションがあがってしまった我々は(私だけだったかもしれないが(笑))、火焔樹さまを恵比寿に呼んで、この一日をともに満喫しよう、という流れに乗ったのである。
#火焔樹さまが到着した時には、入場制限がかかっていて一時間待ちだったので結局会場には入っていただけなかったのだが(申し訳ないことをしました・・・でも火焔樹さまもカタログ持ってるから多分無問題(笑))。
##あ、この項続きます(笑)。


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いつもより多く回っております(光は東方より・4)

chen
ブログ内的位置づけとしては「ネコミミルート再び」なのだけれども、それはまたいつかつなげるとして(『ジオブリーダーズ』とかね)、今自分の中に吹いている(火焔樹さまのところにも吹いているらしい(笑))この東風(←読み方をどうするかでYMOファンかどうかわかる(笑))に乗っかっておく・・・というわけで「凶兆の黒猫」チェン。「橙」って原語でこう読むのかどうか、中日辞典を引こうと思いながらいつも忘れてしまいます(職場に行かないと無いもんで)。チェンといえばその回る姿に気を取られてしまって、最初の頃よくやられました(笑)。
#そういえば、<光は東方より>っていうシリーズタイトルは小泉八雲の本の題名から採ったのだけど(うろおぼえ)、最近だと『サクラ大戦』のステージ名になってたりするのな(笑)。
西行伝説にその多くのバックグラウンドを拠っている『妖々夢』の中で、2面の「マヨヒガの黒猫」の柳田國男ネタはちょっと唐突さが感じられるのだが、まあそれはそれとして、私はマヨヒガには昔からわりと思い入れがある。『遠野物語』の原テクストではさほど長いエピソードではないが、段階的な<異界>の位相を持つ森の中にありながら(だから通例は旅人は「迷い込む」ことになる)、什器が流れてくる川によって現界と繋がっている、というその接続方法にインスピレーションを喚起されるのである。
#幻想的なテクストにおいては、<異界>と<現界>がどう接続するか、って結構重要なポイントだと思う。最近の「部屋の中に通路が」ってのはハリポタじゃなくてC・S・ルイスなんだぞマジレンジャー諸君(笑)。
##そういえば『うしおととら』にもマヨヒガのエピソードがあったね。白髪の小夜が印象的で・・・ってこれ同じ遠野ネタでも座敷童の方だったかな(笑)。
いずれにせよ、『蟲師』や『もっけ』などに見られるように、最近良質な妖怪マンガが比較的増えてきているのは喜ばしいことである。この風潮の最初にはおそらく京極夏彦の小説があったのだと思うが、シリーズがいつの間にか「京極堂と愉快な仲間たち」のキャラクター小説になってしまったことによって、本来重要なギミックであったはずの妖怪が必然性を失ってしまい、そのあおりをくって一時期妖怪ものも迷走していた印象があったが・・・。
#最近京極読んでないのでどうなってるかよくわからないのである。
##柳田國男といえば、野家啓一『物語の哲学 柳田國男と歴史の発見』が岩波現代文庫に入った。極めて喜ばしいことである。

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わたしの翼を見せてあげる

rocketgirl_b
・・・いやロケットだから翼はないのだけど(ちなみに竹本泉の『音盤はたらきもの』のロケットガールの歌から・・・なんつーか擬音の多い歌詞である(笑))。無事H2Aの七号機が打ち上げ成功したということで、失敗した六号機と共にイメージイラストを。胸に「7」のゼッケンつけたらなんだか『大鉄人ワンセブン』みたいになってしまったが(笑)。
今NHK教育で、以前はBSで放送していた『ふたつのスピカ』を再放送しているが、一時期、ロケット開発に代表されるようなクラシカル、というか可視性の高いSFが妙に流行った時期があったように思う。きっかけになったのは野尻抱介の『ロケットガール』や(私は以前野尻抱影と勘違いしてました(笑))、あさりよしとおの『なつのロケット』あたりであろうか。作品数の多さは、リアリティとロマンのバランスをしっかりとれば、このジャンルはかなり良い作品を生み出すことが出来る、ということの証明でもあっただろう。
#同時期ギャルゲーにも類似のテーマのものがあったと記憶しているが未プレイ。
私は高校時代天文部の部長だったので(その部長の愛読書が先述した『少女コレクション序説』なのはかなり間違っていたとは思うが(笑)・・・私は専ら「神話研究班」を名乗り、中国のアヤしい星図の再現とかしてました)、こういうイベントにはやはり心動かされるものがある。なにより印象的だったのが、同日ニュースで放映された、種子島の近くで肉眼で打ち上げを見ている少年たちの、なんとも表現のしようがない<憧れ>の表情だった。私も夜空を見上げなくなって久しいが、なんとなく少年時代の感慨を追体験したような、幸せな気分のおすそ分けをもらったような気がしている・・・彼らには、ああいう純粋な表情を忘れないまま大人になってもらいたいものである。
#間違っても『戦闘妖精雪風』を擬人化したりすることのないように・・・(笑)。まあ神林長平のSFは今回触れたものとはかなりベクトルが違うが。

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人形たちの夜(光は東方より・3)

alice
中井英夫の『人形たちの夜』は講談社文庫版のが一番装丁が良かったかなあ・・・いま入手可能なのは創元ライブラリ版だけど、講談社版は各章の扉に凝った人形の写真が使われていて大変センスの良いものでした。作品自体も、最後の破綻の仕方を含めて割りと好きです。というわけで(どういうわけか(笑))、<東方>シリーズから七色の人形遣い、アリス・マーガトロイド。「そんな瑣末なことはどうでもいいのであった」が結構好き。
人形ネタといえばもう一年ほど前になるが、押井守の『イノセンス』にひっかけた「球体関節人形展」を見に行ったことを思い出す(にも関わらず映画自体は見なかったのだが(笑))。確か日曜の朝に出かけていったのだが(わたししんがあさま感謝です)、一歩展覧会場に入ると朝の陽光とはまるでそぐわない不健康な世界が展開されていて、なおかつ大変な盛況だったので、そのギャップになにやら眩暈めいたものを覚えたのを記憶している。「球体関節人形」は、ベルメールの作品に代表されるように退廃的であり、なおかつ不道徳なベクトルを向いている表現形態だと私は理解していたのだが、どうやら世の中は私が思う以上に病んでいるようである(笑)。
#今手元にこの展覧会の図録があるのだが、この装丁も確信犯な感じでかなりイカします(笑)。
個人史的に振り返るならば、高校時代に澁澤龍彦『少女コレクション序説』の中公文庫版の表紙を見たときの強烈なインパクトは忘れがたいものがある(この本、種村季弘の『怪物の解剖学』と共に、当時バカみたいに頻繁に読み返した書物である(笑))。幸運なことに、数年前に銀座の画廊で四谷シモン作の実物を見る機会に恵まれたのだが、これはもう身震いものであった・・・それでもやはり、あのモノクロームの写真の出来は秀逸だと思うが。
#どうでもよいが、人形使いといえばPC98の格闘ゲームも思い出すなそういえば(笑)。
##順番的には<東方>ネタの続きは魔理沙なのだけど、なにしろ『妖々夢』で一回もクリアしていないのでクリアしたら続き描きます(泣)。

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イデアへの弁証法(光は東方より・2)

yuyuko
自分の来し方を省みて、こんなに濫用した概念も無いなあ、と反省しきりなのがプラトンのイデア論・・・「萌え」という便利なタームが登場する前の話だが、「こんなにも我々を(主にダメな方向に)突き動かすものは何なのか」という議論をするときに、「~のイデア」という概念を用いていた覚えがある・・・我ながらヒドい話だな(笑)。
#今考えると、これは解釈者に負担を強いるという点で「萌え」と類似の構造を持つ一方で、本質的には到達不能な抽象性を備える点で、データベース化可能な「萌え」とは意を異にする概念なのだね(笑)。
ともあれ、イデア論についてはおいおい語るとして(本当か?)、幽々子さまのイラストに添えて今回プラトンを持ち出したのはその<対話篇>という構造の問題である。『饗宴』などを読んだ印象では(つーか私まじめに読んだの『饗宴』と『国家』くらいなのだが(笑))、プラトンにおける対話は基本的に一対一対応である・・・登場人物はたくさんいるが、話者Aと話者Bの<対話>が連続している間は話者Cは基本的にその対話に耳を傾けている風情がある。大勢に向かって語りかける『ソクラテスの弁明』でも、劇場?の一人一人との一対一の<対話>が成立しており、<対話篇>の形をとらないギリシャ戯曲文学とはかなり読後感を異にするように思う。
でまあ、何を言っているのかといえば、とどのつまりは『妖々夢』と『永夜抄』の印象の違いのことなのである(笑)。前者のダイアログは基本的にプレイヤーキャラクター(霊夢/魔理沙/咲夜)とボスキャラの<対話>なのに比して、後者はまずプレイヤーキャラクター間のかけあい(まあ、『妖々夢』のを<対話>と呼ぶかどうかも微妙だけど一応語を区別)があり、それにボスキャラが割って入る、という構造を(システム上)必然的に持たざるを得ない。テクストが極めて特殊で難解な分、<東方>初心者の私としては、この三極構造をフォローするのにはかなり時間がかかりそうなのである。
#妖夢・幽々子と魔理沙のかけあいとか、何が話されているのか最初さっぱりでしたよええ(笑)。
##しかし、幽々子さまの衣装はこんなんだったか?(笑)もっと和風な印象だったのだけど・・・。

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