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January 2005

エスの系譜(ペインタを使いこなしてみる試み2)

shimako2
というわけで今回は志摩子さん(おおこれも一発変換・・・よくしつけられてるなうちの辞書(笑))をグワッシュで。キャラ的に「マリア観音」って感じなので後光をつけてみました。アニメ版を見ると、ここの姉妹(上も下も)が一番「エス」っぽい描かれ方をしていたような気が。
『季刊エス』という雑誌は、版型が大きいので書店でも目立つのでよく眼にするのだが、その本誌(らしい)『アネモネ』なる雑誌は見たことが無い(笑)。でまあ、うちにはその第7号<特集 女学生>があるわけなのだが、中原淳一、蕗谷虹児、高畠華宵といったいかにも「エス」的な画家の特集に並んで『マリみて』が取り上げられていることは、この作品がいわば正統派の「エス」の流れを汲んでいることを象徴的に示しているようにも思える。
「エス」とはなんぞや、という説明を行うのはかなり難しいのだが(確か『百合姉妹』(←このタイトルもどうかと思うが(笑))の1号に懇切丁寧な解説があったように思う)、基本的には少女小説の系譜から生まれてきた文化のようである。かつて「やおい」と言われ、今は「ボーイズラブ」とか「腐女子」の文化と言われるものについても、発生媒体は少女小説(に類するもの)なのであろうから(そういや栗本薫が以前『枯葉の寝床』を絶賛していたなあ・・・JUNE、なんて言葉も今は懐かしい(笑))、その菌床は「エス」と近似している。
#そういや高畠華宵はどちらかというとボーイズラブ系な気も(笑)。
私自身は『マリみて』はよく出来たエンタテインとして読んでいるので、その「エス」的な要素には今ひとつ反応できないのだが、周囲の友人たちの中には「ああっ『マリみて』分が不足しているっ」などとよみみたいなことを口走ってるのが結構いるところから見ると、「エス」ものとしても良く出来ているのだろうと推察される。多分(笑)。

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無敵のコモンセンス(ペインタを使いこなしてみる試み1)

yumi3
今日教えを請うて(火焔樹さま感謝です)自分が画像処理ソフトをいかに使いこなしていないか痛切に悟ったので、修行の意味を込めて過去に描いた絵に別の画材で色をつけてみました。もともと私はあまり絵が得意ではないのですが、アナログでも実は水彩画はかなり苦手だったのです・・・にも関わらずこれまで水彩で塗ってました(泣)。ちなみに今回はアニメ塗りを志向してアクリルを使用。
時節はずれで恐縮だが『マリアさまが見てる』について若干。TVCMでは「フツーの女の子」と紹介される主人公の祐巳、しかしその「フツー」こそ、この箱庭的な世界の中では最強の証存在なのだなあと『イン ライブラリー』を読了して思った次第(瞳子視線描かれる祐巳のあの台詞の選択は、私だったら言い回しを決定するのに多分小一時間はかかります(笑))。まあそもそも通常食べている米がコシヒカリな時点で日本人の平均的家庭から逸脱していることははっきりしているのだが、祥子さま(おお一発変換(笑))を初め祐巳を取り巻くタレントはクセがありすぎて、「フツー」の土台となっているコモンセンス、中村雄二郎流に言えば<共通感覚>に欠けるきらいがあるようである。上述したように、「箱庭的」なこの世界においては、<共通感覚>を醸成する周辺の枠組みは「善意」の方向にカリカチュアライズされているのだが、作者は巧妙なことに『ウァレンティーヌスの贈り物』において、<祐巳をとりまくタレント>-<祐巳>と<特殊>-<フツー>という構造を前提とした上で、この世界の<共通感覚>の基盤の一部として、祐巳が「フツー」に発揮する「善意」が実は戯画化されたものであることを、一般生徒の視点を導入することで示してみせている。
ヒネた大人としては、『マリみて』のメタフィクション性ともいえるこの構造に違和感は持たないが(笑)、仮に「少女小説」の王道としてあるべき読者の読後感を想定すると、本来感情移入の対象であるはずの主人公が実はその対象の埒外であることが明かされることに衝撃を覚える可能性はないだろうか、と余計な心配をしないでもない(笑)。
#しかし、やっぱりドリル優勢ですかね(笑)。

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<あんまりない>か<少ししかない>か<殆どない>か

sakuya
私は普段シューティングゲームをプレイする習慣がないのでかなり苦労した挙句、ようやくEasyでノーコンティニュークリアしましたよ『東方妖々夢』(今更、という気もするが)。ゲームとしてもとてもよく出来ているのだけど、それよりもツボにはまったのが言葉のセンス。狙ってこういうやりとりが書けるんだったらすごい才能だと思う。名詞の選び方にも微妙な偏向があって楽しめます(全てを楽しみつくすためにはシューティングの腕をみがかないといけないのだが)。
#くらいボム判定の関係から初心者は麗夢がおすすめ、と薦められたにも関わらず、どういうわけか咲夜でまずクリアしてしまったのだが(笑)。当初スカート丈がなさすぎ、と思っていたのだけど、実際ゲームをプレイしてみて、ドット絵の動きを見ていると、この長さにはそれなりの理由があるのだな、と妙に納得してしまった・・・慣性に従う足の動きがね(笑)。
##しかし、キャラクターの絵は独特なデッサンなのでどうやっても別人になってしまう(泣)。私はこのデッサン結構好きだけど。
###あ、「麗夢」じゃなくて「霊夢」だね。これじゃドリームハンターになってしまう(笑)。
前回の書き込みとの関連はおそろしいことに「ドロワーズ」なのだが(笑)、試しに「東方」と「ドロワーズ」でぐぐってみると300件以上がヒットしたのに吃驚。あまり専門的な見地から言及しているサイトは多くなかったが(当たり前か)。私はこのシリーズは『妖々夢』しか知らないのだが、確かにドロワーズ率が相当高いようである(少なくとも二割八分六厘以上はあるだろう(笑)・・・本来許されざるスカート丈を持つ咲夜の設定がどうなっているかはさしあたり措いておく)。ドロワーズは、閉塞型のインナーの中では現在さほどメジャーではないと思うので、こういう機会でもないとおそらく取り上げられないところであろう(ゴスロリ系のファッションでは結構使用されることがあるようだが)。ロングスカートとの併用が常態、という原則からは外れつつあるようだが・・・。
『東方』シリーズは、キャップがモブキャップだったり、割とクラシックな衣装に思い入れの見られるシリーズのようである。シューティングの腕を磨いて続編に期待したい。

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時事小言(年越しちゃいましたが)

renren
「イングリッズレース」から始まった読者参加ゲームも遂にこの域にまで達したか、という感のある『電撃萌王』の「もぎたて!半熟メイド」(まあ「シスタープリンセス」あたりでもはやゲージ振り切ってはいるのだが)。主人公キャラは5名いるが、各人各様のメイド服のデザインはもはや全くの無法地帯である。しかし、スカート丈よりスパッツが長い、ってパターンは初めてだろう、いくらなんでも(笑)・・・つーか、メイドを名乗るんだったらドロワーズ着用は必須なのだけどな(泣)。
#唯一のロングスカート着用者はどういうわけかオープンフィンガーグローブ着けてリングシューズ履いてるし(笑)。
でまあ、初回のネタとして「模擬試験」でメイドについての設問が五つあるのだが、「メイドの誕生には諸説あるが、最も有力とされているのが19世紀後半に○○(選択肢:仏国・英国・米国)で誕生したという説である」というのがあってかなり驚いた。もはや現代日本における「メイド」という語は、普遍的な意味での「女性召使い」を超えて特殊化してしまっているということなのだろう。ちなみに、19世紀後半で定着した、という設問であれば、それに当てはまるのはモノトーンの職業服とヘッドドレスを身に着けるという習慣に特化されることになろうか(それでも、これを「誕生」と表現するのはおそらく誤りである)。
ちなみにこの「模擬試験」にはヘッドドレスについての設問もあるが、上述の設問とパラレルに考えるならば、用意された正解とみられる「カチューシャ」もまた不正確なものであろう。周知のように、ヴィクトリア朝のメイドの職業服は、女主人よりも一時代前のものを着用して差別化を図る必要から発生したものであり、ヘッドドレスとしてはモブ・キャップを着けるのが通例であったからである(森薫『エマ』を参照)。カチューシャに代表される、我々がイメージしている簡略化されたヘッドドレスは、メイドの職業服が起源なのではなくそのイメージを敷衍して発生したウェイトレスの「制服」の一部であると思われる。この世界からは離れて久しいが、時間があったら改めて検証してみたいところである。
#しかし、特に思い入れの無いキャラを1枚のイラストだけを頼りに起こすのは結構ツラい(笑)。

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にんじん(ただし明度・彩度ともプラス50修正、みたいな)

seale
10数年前に描いたのと同じデザインにするため敢えて第3部の衣装で・・・と思ったら、過去に描いた自分の絵よりなんだかダメさ加減が倍増している気がしてかなりイヤ(笑)。スペルわからんし。
#そのころは『おーいはに丸』も放映していたのであることだなあ(詠嘆)。
アニメ・ゲームにおける髪の色については基本的に無法地帯であることは最早指摘するまでも無いが、それでも作品世界によっては、他のキャラクタとは明らかに違うベクトルの髪の色、という特色がなんらかの意味合いを持つ場合もある。例えば『宇宙漂流バイファム』におけるカチュアの緑色の髪は、異者としての宇宙人であることの記号的表現であった。この緑色の髪の系譜は、最近では、意識的にか無意識的にか、アンドロイドであることの表示に引き継がれている印象がある(『ヨコハマ買い出し紀行』など・・・あ、マルチもそうか(笑))。『超時空世紀オーガス』のモームのように、腕が取れるとかいう荒業を繰り出してくれれば区別は明瞭なのだけども(笑)。古くは『超人ロック』あたりにそのイメージの源泉がありそうである。
それではピンク色の髪にはいかなる意味が含まれるのか。緑色が、明度・彩度を下げれば黒に近づいていく色であるのに対し、ピンク色はそもそもこれらの処理をするとピンクでなくなってしまうので、この二者よりもより虚構性が高い色、と理解することが出来るかもしれない。同じように、明度・彩度を加工できない系統の色としては藤色(綾波がそう・・・『機動戦艦ナデシコ』のルリもか)、水色などがあるだろうか(先にも引いた『空想美少女大百科』によると、水色髪のキャラクタは特殊な能力の持ち主である傾向があるとのことである。『YAT安心宇宙旅行』の桂さんなんかそうだね)・・・後者二つと比べるならば、少なくともピンク髪のキャラは、同じ赤系でも『赤毛のアン』のように自分の髪の色にコンプレックスだけはもたないだろう、とは予想がつくところである。
ちなみに、私は10数年前に先輩のモノクロのノートで見たシィルの髪を「ピンクでふわふわ」と表現したことがあるのだが(多分別の媒体で見たことがあったのだろう)、これは今でも物笑いの種にされている(泣)。

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今夜のおかずはなまこですぅ

milfeulle
新年初発からなんじゃそりゃなタイトルで恐縮だが(笑)、新谷良子の破壊的な声でこういうこと言われるとなかなかに来るものがあるのだ(ちなみに「涙色ノンフィクション」から。こういう歌詞書ける人って尊敬に値すると思う)。年末に出た『超解ギャラクシーエンジェル』を購入してしまったのでまあその記念に。
『ギャラクシーエンジェル』(以下GA)はメディアミックス展開が華々しいが、最近はメディアが変わればそこで作られる作品は基本的に別モノと考えるのが主流となっているようである。GAについては私はアニメから入ったのだが、本屋で水野良著の小説版を見たときにはぶっ飛んだ(そのとき『行殺!新撰組』の某クイズが頭をよぎったのは言うまでも無い(笑))。そのときさすがに小説は手に取らなかったのだが、その後自宅のPCを買い換えるにあたってベンチマークがわりに購入したゲーム版では、極めてまじめかつこっぱずかしいドラマが展開されていて、どうリアクションしていいものやらわからないことになってしまった(シュミレーションは恐ろしいほどに良く出来てるんだけど・・・)。
私はわりとブロッコリーのアニメ作品は好きなのだが、『デ・ジ・キャラット』にせよGAにせよ、これは、デザインの段階で一定の記号的要素(東浩紀が「萌え」データベースの要素として例示するような)を作った上で好きなことをやる、というスタンスに親しみを覚えているのであろう(一時代前の成人向けゲーム業界のスタンスにも通じるところがあるようにも思うのだが如何)。ところが、昨今はメディアミックス展開という手法の中で、いわばメディアごとに対象とする解釈者を意図的に分節する、という現象が起きているように見受けられる。これはあるいは、シュミラークルという概念で説明されるような、オリジナルと二次創作の境界の消失という現象が、「オリジナル」を創る側にも浸出して来ていることの証佐なのかもしれない。
#もっとも、この現象自体は、イメージアルバムで無茶をやる、という『赤い光弾ジリオン』くらいの時代からの伝統があるわけだけども(笑)。
なお、前項との関連で言えば、ミルフェーユは身長156センチで、123センチのミントや132センチのヴァニラといったキャラクタの登場可能性もあったわけだが、ここはやはり「バーン!ってやっちゃっていいですか」のエネルギーに敬意を表した次第(笑)。
#昔ならミントだったんだがなあ(爆)。

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